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健康・美容・ビジネス思いのまま日記
健康情報、美容情報、アフィリエイト、ビジネス情報など思いのままを日記にしました。
プロフィール

遠山快空

Author:遠山快空
1952年生まれの辰年、「社名 社長占い」サティソフト」「コーチング夢幸房」などのサイトを運営中です。インターネットは様々な可能性を持っているので、これからもアイデアをどんどん出して挑戦していくつもりです。

情報を発信することは、情報を受けることと同じくらいに大切なことと想います。小さな交流でもそれがいつか大きな交流につながると思っています。
だから小さな交流を大切にしようと思います。

そんな情報を集めていると、すごいものにぶち当たりました。
2011年の10月に日本に始めて入ってきたインターネットビジネスのトークフュージョンというのがあります。なんといっても3分で収入が入るという、インスタントペイのシステムを持っているのです。「え!今までにないビジネス」
「しかも、まだ日本に入ってきて間がない!」
これはチャンスですよ! そう思った方は以下のURLをクリック。ここでトークフュージョンのいろいろなことがわかります。
ここで、登録もできますよ。今がチャンス!

http://www.yo-in.net/future/future.html


現在四つのサイトを運営中

★「天使の占い」http://www.yo-in.com/
★「コーチング夢幸房」http://www.kakei-shi.net/
★「社名 社長占い」http://www.syamei.net/
★SEO対策とセミナーの「サティソフト」http://www.satieweb.net/

趣味は無趣味というのは、どうかと思うので学生時代は剣道。
水泳は平泳ぎしかできません。
社会に出てからは、射撃に懲りました。エアーピストルの選手でもありました。僕の先生は、富山国体で優勝した方です。
2011年の11月末にタイのプーケットに行って、実際にピストルを撃ってきました。
やっぱり本物は緊張しました。でも、射撃場の人にリップサービスかも知れませんが、プロ級と褒められたのが単純に嬉しかった。



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格言ー1軒屋というのはものが溜まるものですね!
格言ー1軒屋というのはものが溜まるものですね!
---津原泰水(作家)---

人が豊になるというのは、ものを多く所有するということだ。金持ちというのは要するに物持ちのことである。ものの体化物がお金であるから、お金を多く持っていると思っていれば金持ちなのだ。例えば、実際には手元にお金がなくても、銀行にお金があって、それは僕のものだ。と思っていれば、そしてみながそうだと認めていれば、お金持ちなのだ。実際には使わなくても心はお金持ちなのだ。人間というのは不思議なものを発明したと思う。

だから、日本銀行のお金は僕のものだと自分が思っていればいいのだが、それを誰も認めないから、やっぱり僕は貧乏なのかも知れない。この世の中に存在する様々なものは実は人間の体化物が多いのだ。コンピューターは頭の体化物、作業現場で働くクレーンは腕の体化物、走るトラックや乗用車は足の体化物、等々人間は、面白いくらいいろいろなものを考える。そのベースは自分自身だ。こんなものがあったら便利だろうな!と想えるものは、自分という人間の延長上から始まる。だから自分を研究したり、様々なものに疑問や不満を持つのは、ある意味では良いことなのだ。

昔東京に夢の島があった。実はゴミの島なのであるが、ここはもののなれの果て、物たちの墓場なのだ。だから、本当は誰も近寄りたくない夢であって欲しい島だったのだ。不思議なもので、ものを欲しがる人間がいとも簡単にものを捨てるということなのだ。ものと人間の格闘は、有史以来ずっと続けられてきた。そのことが、現代社会のものの抵抗によって、人間が築いてきた物質文明はいとも簡単に壊れそうな局面に来ている。戦争というものを破壊する大量消費の間違った姿は、ものだけではなく人までも破壊してしまう恐ろしさを持っている。現代はものの反逆の時代かも知れない。

思い出せば、僕らが結婚した当初、何もないので我が家のお上は頭が良いのか?家具屋さんの廃品になったようなものを(それでも実用には何も差し支えない)うまくもらってくる交渉をしてきた。お陰で僕は運び屋だ。そしていつの間にか狭いアパートはものであふれかえることになった。それ以来、1軒屋に移ってきた今でも「ものを捨てること、空間の大切がよくわかった」などとしたり顔でお上はのたまわるのである。そういいながら、毎年バザーでなにがしかを買ってくる。そして、しばらくすると「空間がある生活がいい」などと平気な顔をして言うのである。聖書には次のような句がある「万物は実に切なる思いで神の子の出現を待ち望んでいる」物の精霊達は、自分たちをちゃんと評価し自分たちの価値を有効に現してくれる人を忍耐強く待っているのかも知れない。彼らがキレると天変地異が起こるのかも?その前にお上のキレた顔の方がもっと怖い!

赤ちゃんの命名・改名・相性占い・姓名判断はメール鑑定の「天使の占い」
http://www.yo-in.com/
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テーマ:日記 - ジャンル:日記

格言ー人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己を尽くして、人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬるべし。
格言ー人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己を尽くして、人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬるべし。
---西郷隆盛(明治維新の元勲)---

「至誠天に通ず」というのは、西郷隆盛だから言える言葉なのかも知れない。僕らは天に向かってしゃべれば、その唾が自分に降りかかってくるようなものだから、何とも情けない。結局は人を相手にしているというわけである。世の中人を相手にしているから、分からなければ何をやっても良いというような考えが横行することになる。

食品の消費期限を守らないとか、ちょっとまずいことがおきればそれを隠蔽するとか、車にしてもペコちゃんにしても、世の中人を相手にして、人をバカにしているような企業が一部にある。ガス湯沸かし器にしても、人の命を犠牲にしても目先の利益を優先するような企業がある。上場企業にしてこの調子ならばとは考えないことにしている。上場企業だから、かえって問題が起こるのだろう!大企業病だ。己だけを見て大きくなった企業はこうなるのかも知れない。

「大男総身に知恵が回りかね」。全く図体がでかくなればいいってもんじゃないでしょう。「山椒が小粒でぴりりと辛い」というのもあります。一寸法師は小さいから活躍できたということがあります。要するにどこを見ているかということではないでしょうか?企業の目的とか方向性がどこにあるのかということです。身の丈にあった生き方を考えなければならないのでしょう!自分をもてあますくらいなら、しっかりとダイエットをすべきです。「何のために経営をしているのか」「何のために生産しているのか」「何のために販売しているのか」人でいえば価値観を問題にしているのです。

西郷どんのように人格者にはなれませんが、人の生き方の基本と企業の生き方も結局は同じではないかと思えるのです。国の基本が家庭にあるように、家庭の中での人のつながりや、家人の役割が人を互いに育てていくのであれば、企業も結局は家庭という単位を無視しては成り立たなくなるのは当然です。企業も結局は疑似家庭ではないかと思いますから、そこには当然役割があります。「人を見ずして天を見る」というのは、もう少し大きな目で全体を見つめる眼を養うことにつながるのでしょう!そういえば天という字は、二と人の合体化した字ですね!二人以上の人を見るようにすれば、天を見ることに近づくのかも知れません。

赤ちゃんの命名・改名・相性占い・姓名判断はメール鑑定の「天使の占い」

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格言ー健康のことは健康なうちに考えておく。
格言ー健康のことは健康なうちに考えておく。
---栗田有起(作家)---

「後悔先に立たず」とはよくいったもので、後になって「しまった!」ではもう遅いことが多いのである。最近でこそ健康がやかましくいわれて、アメリカの影響かサプリメントを盛んにとるようになってきた。それが良いのかどうかは分からないが、健康に注意するに越したことはない。一番気をつけないといけない人は、「自分は健康だ!」と思いこんでいる人だ。

そういう僕も、昔は3時間しかねないことが自慢の種だった。人一倍頑張る!それが売りであったのかも知れない。人間50年・・・とはよくいったもので、どういうわけか50を越えたあたりから突然体が変調を来しはじめた。はじまりはぎっくり腰であった。その次に、強烈な肩こりが始まった。左肩が突っ張ってしまって、もう上がらなくなってしまった。これが50肩かと考えさせられてしまった。そして次に起こったのが原因不明の不整脈。これがひどいのである。医者ではたぶん心房細動だから、まあ様子を見ましょう!くらいだから、心細いのは本人だ。

健康で一番怖いのは、実は生活習慣病なのである。そういえば机に座る機会が多くなってきてからが、調子が悪くなり始めた時と一致する。だいたい日本人は、その昔食べられない時代が長く続いたのだ。こんなに飽食の時代になったのは、長い歴史の中では考えら得ないくらいの短さだ。食べるということの戦いが実は生きることでもあった。だから、体の細胞はどうにかしてエネルギーを蓄えようと必死だ。また、いつ飢饉が来るかも知れないのだ。そういうところにどんどん栄養を供給するのだから細胞は喜んで喜んでどんどんため込む。それが内臓脂肪となるのだ。そして使われない脂肪が蓄積され続ける。倉庫がいっぱいになって悲鳴を上げるのは体の方なのだ。

アメリカで肥満による疾病が社会問題になり始めたころ、「マクガバン報告」が出された。要するに、昔の食生活の戻れというのだ。これは、野菜、雑穀中心でときどき魚、肉というものだ。これは、貧しい時代の食事をしていれば安全ということなのだ。ところが飽食に一度なれると、なかなかこれを元に戻すのはできない。金持ちが急に貧乏になったからといって、貧乏の生活に戻れないのと同じだ。年をとっても元気でいるということを目標にすれば、「食は質素に心は豊かに!」なんてスローガンになりそうだ。そうは言っても、これも絵に描いた餅なのだろうなとひ弱な心の持ち主が僕です。

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格言ーダメといいつつ本気で抵抗していない。
格言ーダメといいつつ本気で抵抗していない。
---我孫子武丸(作家)---

都々逸っていうのがあるらしい!七・七・七・五という形式が基本でうたわれるものらしいが、大阪で一度だけ芸者さんの都々逸で踊る姿を眼にした。地元の議員さんが呼んでくれたのだ。なかなかしゃれっ気たっぷりで、その場のお歴々を楽しませたものだ。日本人に生まれてよかったなあとときどき思うことがある。これがアメリカ人ならばアメリカに生まれてよかったなあと思うのだろうが、日本という国はやはり2600年以上の歴史がある。その中には公家文化、武家文化、そして庶民の文化がある。

加賀藩のの武士達もそのたしなみとして、茶屋街に通っては様々な文芸を身につけた。今でも茶屋街は往時をしのばせてくれる町並みだ。歴史があるというのは、実は言葉の表現力がとても豊ということなのだ。だから、言葉遊びも多い。実は平安時代に「ひらがな」が登場して以来、日本人はその大切な母音を多く失ってしまったといわれている。しかし、得たものも多い。簡略化によって誰でも言葉を覚えることができ、表現の幅が大きく広がったことだ。その言葉もただ文字通りの言葉というよりも、言外の情景をしっかりと表現する情感あふれる言葉を表現できる文化があったということだ。

都々逸の中には、結構艶っぽいものもある。「君は吉野の千本桜色香よけれどきが多い」「内裏びな 少し離してまた近づけて 女がひとりひなまつり」「こいにこがれて なくせみよりも なかぬほたる みをこがす」「諦めましたよどう諦めた 諦め切れぬと諦めた」こんな風に代表的なものを並べてみると、眼の中に情景がそのまま飛び込んできそうにはなりませんか?もうちょっと、並べてみましょう!「遅い帰りをかれこれ言わぬ 女房の笑顔の気味悪さ」こんな歌を歌われたら、さぞ共感する御仁も多いのでは?

言葉は事実を伝達する道具でもある。だから、正確な言葉遣いというのは必要だとは思う。それでも、標準語というものに味気なさを感じるのは僕だけだろうか?最近は方言が見直されている。それに、金沢では旧町名が復活している。どれも庶民の歴史がつまっている。言葉は言霊、人の魂を伝えるものなどと堅いことは言わないが、言葉が情景や人の心の情緒を伝達するものならば、言葉は形のない映像表現に違いない。しかも一人一人に違ったイメージを映し出してくれるのだ。それは楽しくて面白くてたぶんやめられない。

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格言ーにくしと思うも、かわゆしと思うも、みな自らが思いなしなり。この思いのなしのところを妄想と名づけたり。
格言ーにくしと思うも、かわゆしと思うも、みな自らが思いなしなり。この思いのなしのところを妄想と名づけたり。
---鉄限道光(黄檗宗の僧侶)---

鉄眼は号で、諱(いみな)は道光。肥後の人。13歳で出家。「鉄眼版大蔵経」の版木をつくったことで有名。その版木4万8275枚は、現在も宝蔵院にある。 まあ、各地をまわって喜捨を集め、講義をしたりして、資金を集めたそうだ。そういう偉い坊さんの言葉だから、恐縮して承らなければならないところだが、人間というのはなかなかへそ曲がりだ。

憎いとか恨みとかなどというものは、みな妄想だと片付けられないところに無明煩悩の凡夫の悲しさがある。確かに様々な思いは人を虜にする。そしてその思いは、未来永劫人を虜にする”呪”である。好きとか嫌いなどというのは、全人格的なところをさして思っているかというと、わがままな人間はどうもそうではないらしい。鼻が可愛いとか、目が愛くるしいとか、えくぼが可愛いとか、足が素敵だとか、まあいろいろである。それならば鼻と結婚すればいいだろうにと考えるのは、凡夫の浅はかさだろう!最初は鼻であっても良いのだろうが、長い間生活を共にすると、鼻だとか足だとか眼だとかはもう眼中になくなってしまう。存在そのものが必要になってくるから不思議なのだ。そういうものが夫婦のなれの果てなのかも知れない。

人の思いというのはエネルギーそのものなのかも知れないと思う。様々な思いの中に自分を託して、泣いたり笑ったりなど自分で勝手に一喜一憂しているのだ。そして、そこに希望を勝手に見いだしている。自分のモチベーションを上げるにはどうしたらよいかなどと、企業の研修では話題になる。そんなものは自分の内面にあるものだから、自分で考えるしかないのだ。それこそ思いこめば良いのだから面白い。じゃあどうやって?そうなると結局は自分の欲望と向き合わなければならなくなるから、「憎いあいつを追い越してやりたい」「好きな彼女に気に入られたい」「単純に出世して金が欲しい」などと言うことになる。

所詮人間はどんなに立派なことをいっても、三大欲望からは逃げられないのだ。それは、「寝ること、食べること、性欲」なのだろう!修行の坊さんもこれには悩まされたのだと思う!これは、”色”にあたる部分で肉欲だ。生きている間はこれはついてまわるものだ。それから逃げようとか克服しようなどというのは端からやめた方がいい。「一病息災」という言葉がある。ちょうど病気みたいなもんだから、こういう人の欲望は「一病」だと思って仲良くほどほどに付き合うようにするのがよろしいと思う。日頃清廉潔癖などと称している奴ほど、崩れると堕落するのが早いものだ。仏になれない凡夫ほど妄想と仲良く付き合う術を身につければいいのではないか?人生を長く生きた老人はそういう意味では”悟り”の境地を開いたのかも知れない。極楽はもうすぐそこだからね・・・・・?

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格言ー生き残ってくれというのは簡単だが、生き残るのは難しい。
格言ー生き残ってくれというのは簡単だが、生き残るのは難しい。
---池井戸潤(作家)---

「後悔先に立たず!」という言葉もある。ダーウィンの自然淘汰説ではないが、社会でも競争に勝ち残っていくものと、そうでないものが出てくるのはしょうがないことだ。しかし、社会は競争に負けたものは”死”かというと簡単にそれと決められるわけがない。それほど、単純ではないと思うが、人が社会で生き残るためにはある程度「先見の明!」も必要だろう!

「先見の明」でなくても「準備亡き者は滅びる」ということもいえるのが現実なのだ。そう考えると、我ら凡人も「先見の明」はなくても、それなりに準備するくらいのことはできそうだ。ちょっとした「気づき」をいとわないという小さな努力がそこには必要なのだが・・・。それすらも時には面倒くさいなどといってやらない不埒さがある。それだからこそ我らは凡人の証明になる。

動物の世界では、生き残るということは結婚に全てが象徴される。雌が選ぶ雄の条件とは、より強い者なのだ。タスマニアデビルなどは恐ろしいほどのケンカをする。強さの象徴こそ次の世代に優秀な子孫を残せるというものなのだ。人類の先祖達は、多くの試練に打ち勝ってきた。そしてそのノウハウを次世代に伝達してきたのだ。そこに言葉という道具があった。動物と人類の違いはまさにそこが違うのだ。動物の強さもよく似たところがある。鹿の雄などはその立派すぎるほどの角は、走るのにも餌をとるのにも藪の中を歩くのにも、かえって邪魔なのではないかと思うのだが、その角の立派さこそが強さの象徴なのだ。人間も試練に打ち勝つ言葉の知恵を持っていることこそ強さの象徴なのかも知れない。

生きるための準備は、動物の世界は子育てそのものから始まる。動物の子育てとは、親が子供に生き残るための方法を伝授しているのだ。生き残る術を伝授し終わるころには子育てが終わる時期に入る。そして、巣立ちが待っているのだ。子供が断ち切れない情を親の方が無理矢理に断ち切るのだ。こうして、子供は社会への出発が始まる。猿社会でも、子供の猿は群れとの交流がその第一歩だ。お母さんにしがみついていながら、交流する方法やルールを一つ一つ学習しているのだ。人間は生き残るためにどんな準備をしてきているのだろうか?最近は結婚観のない若者が増えている。それは自然よりも劣るのではないだろうか?親が子供を虐待するというのは、人間に育てられた猿のように生きることを学習してこなかった猿以下である。今だに人間は「生きる」ということの哲学の命題を背負って生きているのではないか?

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格言ーあなたの話、あなたの言葉、あなたの考えでなければいけません。
格言ーあなたの話、あなたの言葉、あなたの考えでなければいけません。
---小泉八雲(作家・英文学者:ラフカディオ ハーン)---

やっとセンター試験が終わった。我が家の長男も受験生として、このセンター試験に臨んだ。リスニングが今年もまた問題になったようだが、さいわい長男にはそういうことはおこらなかった。英語の試験内容が今年から傾向が変わって、例年にないような出題形式になった。そこで、動揺をした人もかなりいたらしい。試験というものは、いつでもそうだが何が起こるか分からないという想定から出発しなければならないから、日頃よりそういう準備が必要だ。

その長男が学校でのテスト合わせが終わった昨日の夜、突然映画「スターリングラード」のヴァシリ・ザイツェフの話をし出した。彼は1943年1月に目を負傷するまでスターリングラード攻防戦で活躍。257人の敵兵を狙撃によって殺害したソ連邦の英雄で超スナイパーだ。長男の話によれば、ザイツェフは「ウラル山脈で育ち、鹿の狩猟によって射撃技術を磨いたそうだ」どんなオリンピック選手でもヴァシリ・ザイツェフにはかなわないだろう!何故なら動かない標的を狙うのと、命があって常に機敏に動くものを狙うというのは本質的に違うからである。長男はいう。「ヴァシリ・ザイツェフがスターリングラードで戦えたのは、刻々と変化する過酷な自然状況の中で、どんな状況の変化にも対応できる技術を磨いてきたからだ」というようなことをいっていた。

射撃については僕も一家言ある。これでもエアーライフルはライフル射撃協会公認の初段、エアーピストルも初段である。確かに射撃というのは、ものすごくメンタルなスポーツで、トリガーが落ちるその瞬間というのは、本人が意識しているかいないような中で、ごく自然に落ちていくのである。ましてや相手が動くターゲットであれば尚更困難を極めるに違いない。全身が硬直して微動だにしない中に、右手の人差し指だけがかすかに運動するのである。トリガーの重さは1.2kg。しかも極寒の中で手袋をしているとなると、もはや考えられないくらい神経の伝達が困難だ。ターゲットと自分という単純な二つの関係の中に、全ての判断は自分自身にゆだねられているというわけだ。

長男にセンター試験のできを聞いてみた。大学の本試験の合格ラインにどのくらい影響があるか問題だからだ。そのことをつげながら聞いてみると、「どんな中でも、自分で判断し、自分の持っているものを全部出し切れたという実感があるなら、それでいいと満足している。結果はその次についてくるものだ」などというカッコのいい言葉が返ってきた。「ははー、これを言いたいためにヴァシリ・ザイツェフの話をもちだしてきたのだな!」と分かったのだが、いつの間にか子供と思っていた長男が、自分の足で歩き始めようとしている瞬間を感じ取ってしまった。親父としては、「ちょっと、とまどってしまった!」が長男もいい年になったなと思った。

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格言ー世の中には私たちよりももっと辛い人がいる。
格言ー世の中には私たちよりももっと辛い人がいる。
---伊集院静(作家)---

つたない知識で考えても、人間の歴史というのは悲しい出来事の繰り返しであったのではないかと思う。戦争がこの地上から消えたということはないし、ベトナム戦争などでおこったジェノサイドなどはついこの前まであった出来事だ。今でも、世界のあちらこちらで紛争は起き続けている。結局、犠牲になるのは女性と子供達だ。紛争を解決する手段としての戦争を選択するというのは、政治家が無能だからに違いないと僕は思う。

住む家もなく、食料もおぼつかなく、難民キャンプで生活する人々の子供は勉強もままならない。その民族の境遇は、その民族のたどってきた歴史性を理解してからでないと、結局は何も解決できないというのが本当だろう!アメリカが世界平和を唱えて善意の押しつけをしても、当人達は決してそうは思っていないことが多い。問題が多い中近東の砂漠の民達の時間は、「千年は一日の如し、一日は千年の如し」なのである。100年前の先祖の恨みを今日晴らすことだってあるのだ。

思えばアラブとイスラエルの戦いは、4000年前の一人の男の家庭にまでさかのぼる。アブラハムに二人の妻がいた。サラとハガルといった。その二人の女の戦いが発端だ。今でいえばサラが本妻、ハガルが第2婦人とでもいいましょうか?ハガルの産んだ子が長男イシマエル、サラの産んだ子が次男イサクである。イサクの子孫がイスラエルとなった。跡目争いが根底にある。結局は本妻の子であるイサクが相続権を持つから、ハガルとイシマエルを残しておいては、禍根を残すことになるのでアブラハムはハガルとイシマエルを砂漠へ追い出したのだ。これは、生きながらにして死を意味することだ。しかし、神は哀れんでハガルとイシマエルを助けた。こうしてアラブの民が形成されていったのだ。今、イスラエルとアラブ諸国は4000年前の戦いをしているのだ。そんな国と付き合うには相当の覚悟がなければならない。

世界は、歴史という悲しみを背負った民族があまりにも多い。アフリカはもっと悲惨だ。「ホテルルワンダ」という映画をビデオで観た。ヨーロッパ諸国の植民地政策によって、国境を勝手に線引きされ、民族差別を強いられながら、突然の先進文化の流入によって、民族の文化も伝統も粉々にされながら、生き延びてきたアフリカの人々は悲惨だ。奴隷になって売られてしまったりもした。先進文化と技術の後れが、アフリカの人々を犠牲にしてしまった。その預言は「ノアの箱船」の物語にあるノアお爺さんの次男「ハム」にあった。ハムがノアお爺さんの勘気にふれたために、兄弟達の僕にならなければならないとされてしまったのだ。こんな昔物語のようなことが人の精神史となってつながれているのだ。そこを考えて歴史にまつわる悲しみや出来事を知らないと、人は自分の悲しみを越えることはできないのかも知れない。

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格言ー社会では知らないということは恥ではありません。
格言ー社会では知らないということは恥ではありません。
---中谷彰宏(作家)---

「聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥」と昔からいうではありませんか?だから、知らないことは何でも聞いた方が良いのではないか。などと、思ってはいるのだが、いざ「聞こう!」ともっていると、これまた変な自尊心というかあってなさそうなプライドが邪魔をして聞きそびれることになる。これがね!年をとればとるほどそういう傾向が出るから、やっかいなのだ。若いときは、何でも挑戦者の立場だから、知らないことくらいは当たり前の「へのカッパ」であったが、この頃そうも行かなくなった。

だから、「かまとと」ぶっている中高年を見ると、何となく心中を察して哀れになってくるものだ。中高年が社会という荒波にもまれながら、実は気がついたら大波が着ているのに気がつかないで飲み込まれてしまっていたというのが現実なのかも知れない。昭和22年から24年までの団塊の世代が、いよいよ「銃後」にまわることになった。こうなると「銃後」が最前線のような状況になってくるから、「塊」の力というのは恐ろしいエネルギーを持っているものなのだ。できればそのエネルギーを日本の未来のために向けて欲しいものだ。

インターネットを開いてみれば、「wikipedia」という百科事典がある。その他には、「知恵袋」や「人力検索」などというものもある。今やほとんどの知的な財産はインターネット上で自由にほぼ無料で閲覧できる状態になっているのだ。何ということだろう!今まで、情報こそ男の特権と考えていたものが、そうではなくなったのだ。社会システムと社会事情に詳しいから、男がその位置を保ってきたのに、今や知的な部分では男も女もないのだ。人に聞かなくても自分で自由に調べられる時代になってしまったのだ。

じゃあ何が必要な時代になったかというと、創造能力や工夫力といった問題ないなるし、より人間性が問われるようになったと考えた方がいい。知識で人をリードすることはできなくなったということだろう。そんなものはいずれ追いつかれることになる。追いつくことのできないものは、自分の持つ全人格性、自分の持っている経験、人の内面性を表すキャラクターである。「釣りバカ」が何故人気があるか考えてみた。知的な社会システムの中にあって、あふれんばかりの濃いキャラクターが入り乱れているからなのだ。それは誰もすぐに追いつくことの出来ない魅力だからだ。すると、まだまだ団塊の世代は「あふれんばかりの経験」という武器を持っていることに気がつくはずだ。

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格言ー公正に相手を見る。
格言ー公正に相手を見る。
---童門冬二(作家)---

公正に相手を見ると言うことは、一生懸命考えれば考えるほど、公正と言うことが分からなくなってしまうので、難しいのです。何が公正で何が公正でないのか?それは、「公」という価値観の問題になるので、そう簡単ではありません。「公」の字を調べてみると、『「大宅(おおやけ)(大きな家)」の意から、皇居・天皇・朝廷、さらに公共の意に転じた語』とあり、(個人の立場を離れて全体にかかわること。社会。公共。世間。)ということになる。

「公」というのは、つまるところ朝廷までいってしまうということになると、この言葉の持つ意味はとても重たくなる。そこまででなくても、「公」という基準を考えるに、その反対語を論じてみればいいことになる。わたくし【私】というのは、①自分一人に関係のあること。個人的なこと。②公平さを欠いて、自分の都合や利益を優先すること。ということになるから、「公」というのは、自分の個人的なことでないものは皆「公」ということになる。そうなると、自分の個人的なことというのは何かということを明確にしておかなくては、「公」の仕事をすることはできないということになる。

公務員は「公僕」といわれる。この意味は「広く公衆に奉仕する者」とある。「公衆」というのは一般人を意味するから、公務員というのは一般人に奉仕する人たちをいうのであるが、昔から公務員が一般人に奉仕したということは聞いたことがない。これまた、「奉仕」というのは、利害を離れて国家や社会などのために尽くすこと。とか、国家・社会・目上の者などに利害を考えずにつくすこと。ということになるから、本来そういう人たちが公務員でなければならないのに、そんな聖人君子みたいな人はいまだに見たことがない。新聞紙上では、一般人よりもひどい輩が汚職を繰り返している記事が載る。彼らはもはや公務員ではなく”私”に奉仕する「私務員」なのである。

公という意味が「朝廷」を出発としていることは、とても重要ではないだろうか?常に全体を考えているからつけられた名称であるならば、いつもみんなのことを考えて行動できる人は、すでに「公」の人ということができる。みんながそういう考えを優先順位として持っているならば、社会はもっとよくなるはずであると思う。理想を言わしてもらうならば、「個は全体のために、全体は個を尊重する」という関係が成立してこそ、社会は理想となり得るのではないだろうか?このことは企業にもいえる。「社員は会社のために、会社は社員のために」。でも最近の会社の役員は株主の方にばかり目が向いて社員を忘れているような気がする。役員の顔に”私”の色が見える。

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格言ー学校と親とが責任を転嫁しあっても子ども達は決して良くはなりません。
格言ー学校と親とが責任を転嫁しあっても子ども達は決して良くはなりません。
---杉井保之(オリジンコーポレーション)---

いじめの問題は、本当に深刻です。小学校に上がって3年生くらいまでが問題です。どうしてこの時期くらいまでが問題かというと、家庭内の教育影響をそのまま引きずって学校に来るからではないかと思います。ですから、子どもの方はその延長で学校の友達関係が出てきます。ということは、言葉使いから様々な態度まで家庭内のしつけが大きく影響しているのです。

こういう学年までは、学校の先生の子どもに対する対応の仕方もとても重要です。先生がそういう家庭内の延長上にある子どもの躾け教育をどうやってするかということが重要なのです。そういう意味では3年くらいまでの担任の先生は相当優秀な先生がいいと思います。先生というのは、授業を教えればいいというよりは、やはり子どもの全人格教育に影響を持つので、そういう人格教育のできる先生が必要ではないでしょうか?そういう意味では、日教組の先生は一般の労働者と同じであるという考えは、大問題だと思います。

我が家の子どもは、小学校の3年までに2年間も同じ男の担任がなりました。この先生が変わり者でひどかった。だから子どもは毎日帰ってきて、学校で先生がこんなふうに子どもを指導した。しかった。などということを延々と聞いてやらなければなりませんでした。そうしないと、子どもの頭で理解できないで整理できなくているのです。こういうクラスに限って事件だらけなのです。そういう事件を生み出して助長しているのが担任であることも知らずにいるのです。あまりのひどさに面談の時に抗議をしましたが、自分の保身のために一生懸命逃げるのです。そのときのレコーダーは今でもとってあります。

結局は、様々な人がいる中での集団行動や人との関わり合いを学ぶのに学校はとても重要なのですが、その基本であるルールを守ろうとする文化が既に破壊されているのです。そうすると、先生の質が大きく影響してくるようになります。どうして、私立学校に子どもを入れたくなるのかがわかるような気がします。先生のレベルや生徒の質が安定しているからです。先生の質が悪ければそれだけ家庭で子どもを精神的にケアーしなければならない負担が大きくなるからです。密室になる教室をもっとオープンにすることと、いつでも父兄には学校での授業が参観できるという制度が必要だと思います。そうでないと、先生は(女王の教室)ではないですが、独裁者になるかも知れないのです。

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格言ーない宝を求めずにある宝を掘り出すことだ。
格言ーない宝を求めずにある宝を掘り出すことだ。
---中野重治(作家・評論家)---

「無いものねだり」という言葉があるように、ないと思うとよけいに欲しくなるという人間の業のようなものがあります。人にあって自分になければそれを奪いたくなるというわけです。全く人間というのはどこまで行っても救いがたいような一面をもっています。中にはそういうところだけが出てきているような人がいますが、それも本当な姿とは思いたくありません。

ものごとには、順序というものがあります。どんなことを始めるにも先ずそのとっかかりが問題になります。そこでつまずくと後が進みにくくなります。だからこそ、求めやすいところから始めるのがベターな選択といえるでしょう!ところが人は、そういうところに価値を置かないで、一挙に金持ちになろうとしたり、一挙に有名になろうとしたり、そういう「虚」の部分の価値に目がいってしまうのです。

餓鬼道という言葉があります。餓鬼道というのは仏教でいうところの六道輪廻の世界で地獄に次ぐひどいところであると考えられます。この餓鬼道というのは、「常に飢えと乾きに苦しみ、食物を手に取ると火に変わってしまうので、決して満たされる事がないとされる。極端な飢餓状態」ということを意味しています。「欲しい、欲しい!」という際限のない消費社会の欲望は、まさに餓鬼道を地でいっているようでなりません。欲望をかき立てる消費社会の餓鬼道を助長しているのがカード社会という現実もあります。結局無いものねだりの現実が現れているのです。

「ここほれワンワン」ではありませんが、意外にも宝物は自分の身近にあるものなのです。メーテルリンクの青い鳥の物語は誰でも知っているものですが、幸せは外に探し求めてもなくて結局は家の中にあったというものです。何型からものかという問題は、結局はその人の価値観に関わる問題ですから、すぐに答えが出るとは思いません。しかし、メーテルリンクの原作では、結局青い鳥も最後はどこかへ逃げていってしまいます。結局「夢」だけを求めることよりも『夢』は、先ずは現実の見えるところ、手に届くところから始めるべきだということなのでしょう!

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格言ー人生は石材なり。神の姿を彫るも悪魔の姿を彫るも、各自の心のままだ。
格言ー人生は石材なり。神の姿を彫るも悪魔の姿を彫るも、各自の心のままだ。
---ハーバート・スペンサー(イギリスの哲学者)---

子どもも彫刻の材料と同じではないかと考えます。素材を厳選してというよりも、素材の特徴を読んで、それをどうやって形にしていくかということを考えなければならないのですが、そういう加工技術と、物事を創造することはどこかで似ているように思えてなりません。人間の教育も同じではないでしょうか?材料を押しつければ返って材料に反発されて想った物はできないことがあります。

それと同じで、子どもにも押しつけ教育は決してプラスの効果を上げるとは限りません。子どもも何かの芸術作品を仕上げるのと同じで作者と材料が対話をしながら、模索しつつ方向を決めるのではないでしょうか?そういう中から、とんでもない力や、自然の大いなる力が作品を生み出すのではないかと思うのです。子どもも同じようなもので、決して親の理想を押しつけたり、親の勝手な願いを子どもに託しても、その通りにはならないものでございます。

ローカルの電車の中での会話です。高校生同士が会話しているのですが、女子学生の方が何を話しても「切れる」「むかつく」というワードしか出てきません。それを聞いていてとっさに思ったことは、こんな女の子を嫁にしたらそれこそ大変だろうな!その子ども達も結局はまともにならないだろうな!などと真剣に考えていました。格差社会といいますが、お金の面というよりも、心の面で格差が広がっているのではないでしょうか?それが実体経済に影響を与えているのではないでしょうか?

マルコ伝12/10には、「家造りらの捨てた石が隅のかしら石になった」と
あります。プロの建築家が見放したどうにもならない石でも、その石がもっと適した石があったろうに、土台石になったという話です。これは何を示唆しているかというと、どんな石でもちゃんと造り主がその石にあった特性を見いだせば、土台石にもなることができるということなのでしょう!プロの建築家(家造り)というのは、今でいうならばプロの教師でしょう!彼らが見放しても、ちゃんとその人の特性を見いだしてやれば、どんな優れた作品にでもなりうる可能性はあるはずです。それをできるのは、やはり親が一番なのではないでしょうか?今は親の自覚こそ必要な時代です。

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格言ー自分以外の人間になることで、自分という呪縛から解放される。
格言ー自分以外の人間になることで、自分という呪縛から解放される。
---竹内一郎(著述業)---

変身願望というのは誰にでもあります。仮装舞踏会というのがはやったときがありました。こういうのも自分の正体を見せないところから、相手の想像心をかき立てて、日頃にない刺激を求めているのではないかと思います。そういう心の「なりたい病」というものは、人間がいかに自分の自己実現に悩んでいるかを示すものといえるでしょう。

仮面ライダーが「へ~んしん!」といってあのパフォーマンスと共に人間から超能力を持ったバッタ人間に変わるのです。これなんぞは人の心をうまくとらえました。誰もが実は、あの仮面ライダーのように強くて、優しくてそれでいてちゃんとした社会人でもある。そう願っているのでしょう。
スーパーマンだってそういうことがいえます。だから、仮面には虚と実をうまく使い分ける人間の理想像があるのかも知れません。

ネット上では、ハンドルネームを使っていろいろな意見がまじわされています。中には正体がわからないから好き勝手なことをいったり、人を中傷したり、言葉の暴力が横行したりと、とんでもない奴がいます。それはハンドルネームという仮面を被ることで、自分が日頃言いたいことや、自分の欲望のはけ口になっているのかも知れません。でもそういう人は、ネットの向こうの実体の自分にいつもどこかでそのギャップに悩むことになるのだと思いますが・・・。

役者というのは「いいなあ!」と正直思っています。それでは役者になれるかというと、なれるはずがないのですが、役者はある意味では自分の自己実現を代弁してくれていると思います。役者というのは役の人物そのものに変身してしまうのですから、見る人は自分をその役者に投影するのでしょう。自分が変身する自己実現には、様々な方法があると思いますが、役者もその役になりきるという大変な努力をしているということです。そういうところからすると、自分たちも「なりたい自分」になりきる努力をちゃんとすればいいのではないでしょうか。努力という時間の積み重ねが、それを可能にするはずです。

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格言ー年齢のせいだけとは思えなかった。
格言ー年齢のせいだけとは思えなかった。
---連城三紀彦(作家)---

歳というのは偽ることができないと、思うようになってきました。というのも、ここ数年来どうも思うように体が動かなくなってきたからです。ぎっくり腰を3年前におこし、それから年に1回はぎっくり腰になっています。どうも癖になったようです。こうなると、1週間は腰を抱えて満足に歩くこともできず、猿人に戻ったような気分になります。

信長が好んで舞った敦盛は「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢まぼろしのごとくなり一度生を得て、滅せぬ者のあるべきかとて・・・」世の無常観をしっかりととらえています。この当時としては、武者として「生」を生き抜くのは大変なことであったと思いますが、それよりも年齢から衰えてくる知力体力をどうすることもできないジレンマの戦い、そしてそれに向かわなければならない「凄み」があったのではないかと思います。

歳というのはいろいろな意味で誤魔化したいのであります。若いときは少しでも大人に見てもらいたいと思いますし、歳をとってくれば少しでも若く見られたいという欲望があります。しかしどう誤魔化しても実年齢というのは誤魔化せないものだと思います。そこから逃げても逃げても、影のように歳という化け物は付いてきますから、もう逃げない方が悩まなくてすむのではないでしょうか?

「俺も歳をとったな!」などというときには、きっと世の中の流れについて行けない自分を発見したときなのではないでしょうか?多分にそれは「いいわけ」であると思います。ここにも歳のせいにして自分から逃げようとする姿が見えます。歳というのは肉体的な年齢と、心の年齢があると思います。
僕が思うに、肉体的な年齢は30代をピークにどんどん下がっていきます。しかし、心の年齢は歳はとるけれども老いはしないのです。肉体の年齢と心のギャップを上手に埋めることも人の知恵ではないかと思います。

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格言ー仕事の先にある社会に思いを馳せることは、結局、あなたを支えることになる。
格言ー仕事の先にある社会に思いを馳せることは、結局、あなたを支えることになる。
---福原義春(資生堂名誉会長)---

何のために仕事をするの?って質問すると、そんなもん「食うことに決まってるやんか!」という答えがある人から帰ってきました。まあ、それ以上答えを返す気がしなくなってしまいました。団塊の世代が大量退職する時代になって、生き甲斐は何だろうなんて考える人も多くなっているのではないかと思います。

もちろん、生き甲斐などというのは個人差があるのですから、これが正解なんていうものはないと思います。自然と向き合うのもその方策の一つでしょう。何かの資格に挑戦をするのも生き方の一つでしょう。それぞれが何かに向き合おうとしていることが大事なのではないかと思っています。その辺に悩む人が多いとも思います。

士農工商の時代では、侍の子はやっぱり侍というわけです。侍というのはいわゆる浪人とは違いますから、侍予備軍ということなのでしょうか?農人はやっぱり農人しかなれませんし、そういうわけで封建社会はカテゴリーが決められてしまっているのですから、今よりはずっと不自由な社会であったことは間違いありません。そういう中で生き甲斐を探すというのは、本当に大変であったと思います。鈴木正三は、日用訓の中で農人はその耕す作業が仏道修行であり、その生産物は衆生のために役立つと説いています。商人は物流を通してあまねく多くの人に商品を行き渡らせます。これも、衆生のためになり仏道修行になります。武士は政治の中で様々な調整作用を行います。
これも衆生のためになり仏道修行になると説いています。

価値観が多様化している現代は、何を求めたらよいのかわからなくなるくらい様々なことがあります。ここで考えなければならないことは、鈴木正三が二つの価値を追求していたということです。一つは自分の働きが衆生のためになっているということ。二つめは修行という言葉に表されるように、自分の働きが自分自身の精神的な成長につながるという効用を説いていることにあります。もし、生き甲斐を見つけようとするならば、鈴木正三に倣って「衆生のためになることが自分の成長につながる」ようなことを見つけるようになれたら僕はいいなと思います。

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格言ー「もうよいぞ」の文句は、次の辻占次第で「もう宵ぞ」にも意味を変えて恋をつづる。
格言ー「もうよいぞ」の文句は、次の辻占次第で「もう宵ぞ」にも意味を変えて恋をつづる。
---北國新聞時鐘から---

2007年亥年、新年あけましておめでとうございます。
今年も、思いつくまま「格言日記?」を書いてまいります。

辻占というのは、金沢ではお正月に食べる伝統的なお菓子です。縁起物で、お菓子の中に小さなお札が入ったお菓子なのです。この占いのお札で新年を占うとかいう何とも風情のある大人の遊びなのです。元々は「辻占売り」という吉凶を占うお札を売り歩く商売があって、これが後々にせんべいやらかりん糖などに挟んで売られるようになったのです。

「辻占売り」にはこんなエピソードもあります。古い話ですが、乃木希典が陸軍少将であったとき金沢を訪れた折のことです。偶然辻占売りの少年に出会ったのです。当時8才の今越清三郎少年です。この少年は辻占売りをしながら一家の生計を支えていたのです。この姿に感銘した乃木将軍が少年を励まし、金弐円を渡しました。この少年は後に金箔業の世界で世に名を残した人になりました。

正月からメールを開けば、生臭い迷惑メールばかりがやってくるのがたまりません。性の解放などが叫ばれて、女性の神秘性が失われてしまったような気がします。女性は命をその体に宿し、育むという不思議な力を持っています。どうせ世の中男と女、などと言ってもその男と女の間に生まれる恋心もプロセスが大切なのだと思います。女性の神秘と男の即物性が恋心を大切にする文化の中で育てられるのです。そういう伝統文化こそ守るべきものなのだと思います。

男が女を大切にし、女も男を大切に扱うという男女の違いをちゃんと分かったつき合い方というのがあるはずだと思います。人間にはそういう何でもないことをちゃんと遊びに変えて、それを伝統にしてしまうという知恵があります。「辻占」もそういう遊びではないかと思います。男心も女心もダイレクトな出会いを求めるよりも、何かに託した恋心の方がよほど刺激的なのです。それが分からないと人は刹那的な肉欲に疲れてしまいます。愛情占いも相手の心を推し量るということではじめて想いが大きくなるのではないかと思います。そういう伝統の遊びがもっと親しまれればいいなと思っています。

2007年の運勢はどうなる?

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