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健康・美容・ビジネス思いのまま日記
健康情報、美容情報、アフィリエイト、ビジネス情報など思いのままを日記にしました。
プロフィール

遠山快空

Author:遠山快空
1952年生まれの辰年、「社名 社長占い」サティソフト」「コーチング夢幸房」などのサイトを運営中です。インターネットは様々な可能性を持っているので、これからもアイデアをどんどん出して挑戦していくつもりです。

情報を発信することは、情報を受けることと同じくらいに大切なことと想います。小さな交流でもそれがいつか大きな交流につながると思っています。
だから小さな交流を大切にしようと思います。

そんな情報を集めていると、すごいものにぶち当たりました。
2011年の10月に日本に始めて入ってきたインターネットビジネスのトークフュージョンというのがあります。なんといっても3分で収入が入るという、インスタントペイのシステムを持っているのです。「え!今までにないビジネス」
「しかも、まだ日本に入ってきて間がない!」
これはチャンスですよ! そう思った方は以下のURLをクリック。ここでトークフュージョンのいろいろなことがわかります。
ここで、登録もできますよ。今がチャンス!

http://www.yo-in.net/future/future.html


現在四つのサイトを運営中

★「天使の占い」http://www.yo-in.com/
★「コーチング夢幸房」http://www.kakei-shi.net/
★「社名 社長占い」http://www.syamei.net/
★SEO対策とセミナーの「サティソフト」http://www.satieweb.net/

趣味は無趣味というのは、どうかと思うので学生時代は剣道。
水泳は平泳ぎしかできません。
社会に出てからは、射撃に懲りました。エアーピストルの選手でもありました。僕の先生は、富山国体で優勝した方です。
2011年の11月末にタイのプーケットに行って、実際にピストルを撃ってきました。
やっぱり本物は緊張しました。でも、射撃場の人にリップサービスかも知れませんが、プロ級と褒められたのが単純に嬉しかった。



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格言ー世の中がどう変わろうと、息子から孫へ、孫から曾孫へ、受け継いでいくものがある。
格言ー世の中がどう変わろうと、息子から孫へ、孫から曾孫へ、受け継いでいくものがある。
---諸田玲子(作家)---

世の中には変わらないものと、めまぐるしく変化してやまないものがある。価値ということからすると変わらないものに価値があるとされる。すぐ変わってしまうものは、やはりその時だけの価値であって普遍性がないということになる。だから、人類史上共通して”金”や”ダイヤモンド”などは価値があるということだ。人はこういう不変で安定したものを求めて今までやってきた。

どうしてかというと、世の中信じられないことばかりだから、変わらない普遍性は唯一性になるし、絶対性になる。だから人は裏切られることのない絶対性という意味で変わらない価値や変わらないものに執着をするのだ。政治が不安定になり世の中が乱れてくるようになると、宗教が力を持つようになる。戦国時代の一向宗などはその良い例だ。人はこの世の神が信じられなくなると、あの世の変わらない神を求めたくなるものだ。反対に世の中が安定してくると、人々の信仰心は薄らいでくる。この世の神とあの世の神は反比例の関係ということになる。

受験生の家にはドラマがある。我が家もやっと受験生の前期日程が終わった。結果は神のみぞ知るということなのだが、美大を目指す彼は、入試の願書提出の直前になってそれまで打ち込んできた「デザイン」から「油」に転向すると言い出したのである。しかも鉛筆から木炭デッサンへの変身ぶりだ。慌てたのは親の方である。その彼が今日の面接試験で試験官から「美術を目指すということは、一生貧乏でも良いということですね!」と聞かれたという。彼は自信を持って「貧乏でも良いです」と答えたという。そういう報告を聞いたときに、愚かなる親は、自分の移ろいゆく価値観に毒されている心が槍に突かれたような衝撃であった。

そういえば、僕らの若いときも自分で世界は創ることができるなどと本気になって考えていたし、それに向かって何らかのアクションをしたものだ。大人の耳なんかは聞く耳は端からなかった。自分たちこそ歴史を変える原動力になれると真剣であった。そういうエネルギーというのは、変えてはいけないものだ。それを応援してやらなければならないミッションが大人にはあるような気がする。大人達が何かを次世代に伝達できるとするならば、旧世代が応援団になるということなのだろう!次に今の若い世代が大人になったときに良き応援団になれるような伝統を創ることだ。変えてはならないミッションといのはそういうものだと思っている。

赤ちゃんの命名・改名・相性占い・姓名判断はメール鑑定の「天使の占い」
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テーマ:日記 - ジャンル:日記

格言ー私語が多くなったら、その集団は機能しません。
格言ー私語が多くなったら、その集団は機能しません。
---櫻井秀勲(評論家)---

リーダーというのは、不思議なもので人が良くて愛されてもいけないし、恐怖心を部下が持っているだけというのもいけないし、頭が悪いと思われてもいけないし、それでは怜悧と思われてはどうかというと、これも冷たさだけが残っていただけない。実行力があればどうかというと、これもただ自分が走るだけの亥の武者と呼ばれるのが落ちだ。

集団をまとめるというのはなかなか難しいもので、人間の複雑な力学がそこには働いている。その辺をしっかりと見極めながら時の情勢判断を誤らないことが肝要だ。要するに正体がばれない人が良い。ベールに包まれていた方が良いのだ。何故かというとわからなければ、よりリーダーに感心と注意が向く。それに部下には常に緊張感があるから、ミスが少なくなる。人間というのはいい加減なものだから、相手がわかってしまえば、このくらいまで良いだろう!適当でも問題はない。などと勝手に値踏みをして判断してしまうものなのだ。当然リーダーは孤独になる。だから側近という人は、リーダーのことを知りすぎると危険だ。

司馬遼太郎の播磨灘物語には、黒田官兵衛の物語が載っている。竹中半兵衛と共に軍師として豊臣秀吉の側近くに仕えたのであるが、「できすぎ君」はリーダーより重用されるが警戒されるというわけで、秀吉からも家康からも冷遇されてきたことは皆さんが周知の通りである。これも側近であるが故に、しかも自分よりも能力があると思わせてしまったが故に警戒されるようになってしまったのだ。リーダーというのはかくも人を信用しないものなのかということだ。たぶんそれまでに多くだまされて痛い目に遭っているからなのだろう!次のリーダーといわれるNO2はそういうわけで大変だ。一歩間違えば自分の”死”が待っているんだからね!

一番良いのは3番手くらいにいて、NO2がこけた後を襲い力の衰えたリーダーを押しのけて自分がリーダーに駆け上がることだ。まあこういうマキャベリズムが通用するような世の中ではないとは思うが、基本はどこも変わってはいないような気がする。そんな過酷な仕事がリーダーなのに何でリーダーになろうとするのか?たぶん人間が抱えている宿命見たいのものが宿っているのだろう!加賀藩三代藩主前田利常公は、「鼻毛大名」として有名であった。これなどは、リーダー徳川氏に対して、自分は無能ですよということをアピールする無抵抗宣言のようなものであった。しかし、実際は新井白石をして、政治は加賀が一番といわせしめたほどの能力があった。果たして、どんなリーダー像をもったらよいのだろうか?答えは自分で出すしかない。

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格言ー誰しも、自分の描く自分像というものがある。
格言ー誰しも、自分の描く自分像というものがある。
---藤本ひとみ(作家)---

自分の描く自分のイメージについて、ちゃんと答えられるような人はそう多くはいないのではないか?ただ、これがあなただとイメージで示されれば、「こんなんではない」などと反論されるのは目に見えている。だから、人は結局自分をしっかりと持っているのだが、具体的に説明できないだけなのだろう!ここが難しいところで、人が描いている自分のイメージと自分が思っている自分のイメージはどこかギャップがあるものだ。

その落差があまりに大きいと、特に悪い意味で大きくなるとショックもあり悩みもそれだけ大きくなるということになる。自分はこうなんだけれどナー!などと思いつつも人はそうはみてくれない。その辺をどう自己実現するかということが課題になる。だから、自己表現のうまくできている人を見ると、とてもうらやましくなるものだ。といって自分でそうなれるわけではないから悩みなのだ。

俳優さんや女優さんが結婚するといったいどんな結婚生活になるのかなあとつい考えてしう。演じることのプロが結婚すれば、夫の前にも妻の前にも演じているのではないだろうか?などとうがった見方もしてしまう。こういう人達はどこかで自分を出さないとストレスが溜まって仕方がないのではないかとも考えてしまう。翻って一般社会の夫婦も中には仮面夫婦もいるではないか?と考えると、演じているのはみんなそうなのだということになる。であれば、ちゃんと自分を演じることのできる人になることが先ずは必要なのかも知れない。最初は大根役者でも良いけど年期がたてば、そのうちに堂に入ってくるのではないかと思う。

自己イメージというのは、ナルシシズムということではない。もっと利他的なものだ。相手に自分を理解してもらうための自己表現だから、自分の為の演技をするのではないのだ。自分像の中には社会的な地位や経済力、様々な要素が入り込んでくると思うが、基本は自分の心のあり方をどう表現できるかということなのだ。社会や家庭というドラマの表舞台で自分の心を演技するなんてことができれば良いなと思う!「それって、プロの役者でも難しいことでは・・・」でも大丈夫、いつも配役が決まっていればだんだんうまくなるものだからね!と考えれば、ちゃんと自分造りができるようになるのではないかと思う。

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格言ー景気が良くなると、だいたいの人は、節操が悪くなる。
格言ー景気が良くなると、だいたいの人は、節操が悪くなる。
---池田晶子(哲学者)---

節操というのは「節義を堅く守って変えないこと。自分の信じる主義・主張などを守りとおすこと。」などとある。すると景気の上下と主義主張は関係があるということなのだろうか?まあいずれにしても、人間というものはたががゆるめば、ハメを外したくなるというのが、持って生まれた本性なのかも知れないが、その辺に歯止めがかかるのが文化とかプライドなどというものかも知れない。

確かに懐が温かくなると、心も大きくなったような気がするし、この際何でもやったれなどという気にもなってくる。その反対に懐が寂しくなると、必要なものでも、節約節約とコートの襟を立てたくなるというものだ。どちらにしても節操などというものは、豊でも貧しくなっても、場合によってすぐに破られる代物に違いない。豊になれば金の無駄遣いが横行するし、貧しくなれば金融犯罪が増加する。いずれにしてもあまり良い社会ではないといえる。

なんで道徳やモラルなどと人間社会は叫ばなければならなくなったのか?その辺の疑問にかかると、秩序ということに関わらざるを得ない。しかし、この秩序というのは神代の昔に問題があったというのだ。日本の國創り神話で伊弉諾尊と伊弉冉尊が宮殿の天柱を中心にまわって求愛の儀式をしたのだが、女性の方から声をかけたのが間違いだったと、もう一度やり直して今度は男性のふから声をかけて結ばれたという話が古事記に載っている。これなどは基本の秩序を間違ってしまったことを意味している。神代の代からこういう事なのだから、現代も致し方なくはないとも思う。

いずれにしても節操を守るというのは、太古の昔から人間にとっては大きな問題であったに違いない。だから、様々な法律も生まれたし、処罰も行われてきた。しかし、いっこうに人間のルールを破るという性向は変わっていない。これなどはみなイザナギとイザナミの子孫であるからということなのかも知れないが、一方で新しくルールを作り何かを生み出そうとするすごいエネルギーを感じ取ることもできる。だから、節操もほどほどという中庸が肝心ということかも知れない。

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格言ー年をとると世の中のことが何もかもわかってツマラナイ。
格言ー年をとると世の中のことが何もかもわかってツマラナイ。
---三宅雅子(作家)---

年をとるということが、何かをわかるということかというとそうではないらしいことがわかってきた。年をとればとるほどもっとわからないことが増えるばかりだ。だから年をとっているということは「かまとと」ぶっているということになるのだろう!実際にそうだ。子供達にいろいろと質問されることが多い。そんな時に知らないものは知らないというのだが、それでも出来る限り説明がつくような話をすることになる。

人間偉くなると、この知らないということが素直にいえなくなるから悲しい。社長だって知らないことは多いはずだ。現場の方がもっと多くの情報を持っている。ただ、地位がないから言わないだけなのだ。それで、部下が何も言わないから自分の方が何でもしっているような顔をしている。後で部下達が「あのバカ社長が!・・・」なんて話のネタにされていることも知らないでノー天気なものだ。web2.0の時代になって、もはや公開情報は誰の所有でもなくなった。だから知っているということに価値があるのではないのだ。価値は情報の判断力にあるということになる。

昔の話をすると笑われるが、封建時代は限られた人しか情報を知ることができなかった。それに、一つの情報を得るのに長い時間がかかっている。その間に情勢が変化しても、そのことがわかるにはまた長い時間を必要とした。だから限られた情報の中からできる限り的確な判断をしようとした。そういうシックスセンスのようなものが必要だった。しかし今は、多くの情報が知ろうと思えば瞬時に手にはいるようになった。そこで現代人にかけているのは、やっぱりそういうシックスセンス的な能力だ。瞬時に有用情報かどうか判断すること、情報の整理がいち早くできるかどうかが問題なのだ。そういう意味では、織田信長の浅井攻めでお市の方がもたらした小豆の袋で全てを察したというのは、彼の優れたシックスセンスの賜だろう!

だから、世の中はわかっちゃあいけないのだ。わかった顔をすること自体が世の中をダメにする。歴史を動かすのは若者だ。それは、彼らがわかって行動をしているのではないということだ。わからないからこそ行動するのだ。そのエネルギーが世の中を動かす。何かをするときにわかってする人がいるだろうか?起業をする若者がいたとする。彼は必ず成功するとわかって起業をするだろうか?わからないからこそがむしゃらに自分の信じるところに従って進のだ。だから最後は信じる力が強い者こそ、その力を発揮する。今情報過多によってわかったような顔をする若者が多いから、信じる力が衰えてしまったのかも知れない。教育に必要なことは、自分を信じる力を養うことなのだろう!

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格言ーお金をかけなくてもできることにはお金を使わない。
格言ーお金をかけなくてもできることにはお金を使わない。
---柴田よしき(作家)---

どうもお金というテーマでは苦手だ。お金に縁がないせいかもしれないと考えながら、それでも書いている。人は生まれながらにして持っている性向というものがあるのではないかとも考えている。それは子供達を見ていると、別に教えているわけでもないのに、お金に妙に関心を持つ子供と、お金に全く興味を持たない子がいるのだ。もちろんお金の価値とか重要さは、年齢がいってくれば分かってくるのだが、それと興味や関心とはどうも別らしいのだ。

こういう事は、性格というよりもDNAに近い問題なのだろうかと思う。夫婦の親たちはどうだったかなどといろいろと昔話や、過去の想い出をたどってみるとわかりやすい。隔世遺伝だとか、この部分の関心はお祖父さんに似ているとかお祖母さんに似ているとかなどである。実際に我が家の三男は私の母親にそっくりなのだ。それは、顔かたちだとか性格というものではなく、興味や関心の持ち方が違うのだ。物心つかないときからお金に非常に興味を示しているのだ。これは、教育などで培われるというよりも、当初から持っているとしか考えられないものなのだ。

これを書いていて、ふと思いだした。司馬遼太郎の「龍馬が行く」の中で、後の三菱財閥を築き上げた岩崎弥太郎が幼いときに、その子の将来を占う儀式として、幼子がやっとハイハイするころになって手の届く範囲にお金や物を置いて何をつかむかで将来を暗示させようとする下りがある。弥太郎はしっかりとお金をつかんだということらしい。弥太郎が後の財閥を築き上げたから生まれたエピソードなのかどうかは分からないが、人にはそういう持って生まれた因縁なるものが宿っているものなのかも知れない。

まあお金の縁は別問題として、どうもお金ほど原則に忠実で、人の心理が影響を及ぼしているものはないと思う。別にお金の専門家ではないがどんな人でもお金を貯めようと思えば、結局は足し算と引き算しかないのだろうと思う。中にはお金のかけ算を知っている人もいるらしいが、それはやっぱりお金に能力のある人なのだ。お足というくらいだから、庶民には出て行くことを防ぐのが一番の処方箋だ。だから財布には必要な現金以外は入れておかない。もちろんカードも入れておかないことだ。人間はそれしかないと思えばそれしかない生活ができるものなのだ。それがお金に対するつき合い方だ。

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格言ー難しい仕事を狙え。そしてこれを成し遂げるところに進歩がある。
格言ー難しい仕事を狙え。そしてこれを成し遂げるところに進歩がある。
---吉田秀雄(元電通社長)---

物事をチャレンジする精神難い大切だとは誰しもが思うものだ。しかし、実際にチャレンジできるかというと、全ての人ができるというわけではない。競争社会だから、当然その競争に追いついていけない人もいる。しばらく追いついていっても、途中でリタイアする人も出てくる。それは競争社会だから仕方がないというほど、簡単には割り切って良いのだろうか?

競争という社会の中でそう甘いことはいってられない。というのは分かるのだが、切り捨てて良いというような社会では下克上の社会と何ら変わりはなくなる。どこかでちゃんと道を残しておいてやるというのが、こういう民主主義社会の中での総合力というものではないだろうか?社会の中に人間力が蓄積されているときは、「捨てる神あれば拾う神あり」ということになるのだが、そういう人のつながりの伝統がなくなってくると、社会自体の総合力がなくなってきて結局は、衰退することになる。

人間不信、相互の猜疑心、自己を防衛するために本当のことがいえない世界。そういう世界があったら、その世界は地獄なのだろう!そういう意味では日本はまだ人間力があるといえる。ファシズムや共産主義は結局のところ人間力を否定してきた。だから、自己崩壊してしまったのではないかともいえる。楽天的かも知れないが、性善説をとるか性悪説をとるかと問われれば、僕は性善説をとる。もし性悪説をとって自分を形成すれば、結局自分自身が自己崩壊するからだ。だって、人は信じてあげた方が楽しい生き方ができるはずだからと思うからだ。

困難な仕事ほどやり甲斐がある。それを達成する苦労の道程を経て人は成長する。それも事実だろう!だから、今の時代は勝ち負けにこだわる人もいる。あえてもっと世の中を時系列的に見てみてはどうかと思うのだが?物事を成し遂げようとするときに、自分の代から次の代へ、そしてその次の代へと受け継がれていく。そういう成功の仕方というのもあって良いのではないかと思う。もちろんその時でなければいけないこともあるのだろうが、ちょっとせせこましい生き方をしているような気がしないでもない。もっと悠久なるときの流れの中に自分をおいて見つめ直してみることも、心のステージを大きくしてくれるのではないだろうか!

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格言ー人は指導者の過去の栄光についてくるのではなく、未来の可能性についてくるのです。
格言ー人は指導者の過去の栄光についてくるのではなく、未来の可能性についてくるのです。
---田須美 弘(経営コンサルタント)---

今日は建国記念の日!昔の紀元節だ。この日の元は、神武天皇の即位をもって我が国が建国されたと見なして制定したものだ。これは明治期に新暦に合わせようとして、神武天皇の即位元年の旧暦1月1日を新暦に合わせようとして、いろいろと試行錯誤して決まったものらしい。どちらにしても、明治維新というのは、それまで長く続いた武家という軍事政権から天皇を中心とした国家を作ろうという意気込みが随所に見られる。

神武天皇は、アマテラスの孫で「アメノシタヲシロシメスオオキミ」というふうによばれていたらしい。日本書紀によれば、神武東征で八咫烏に導かれて大和に入り、神武天皇として即位したと書いてある。いずれにしても、日本という国の成り立ちは、書く豪族の連合体やら、それぞれが独立していた部族やらが神武天皇によってまがりなりにも国としてまとまりを見せたということなのだろう!そして万世一系の神話はそういう日本書紀から生まれたものであるといってもいい。

権威の正当性は未来を約束するものなのかということを考えると、たぶん未来における民族や国などの心のよりどころになるし、その国民のアイデンティティになるのは間違いない。そういう意味では、歴史的な権威というものがどの国にも必要なのはいうまでもない。歴史を学ぶというのは、自分たちの成り立ちの正当性を明らかにするためなのだ。だから、歴代の武家政権も天皇や公家の権威に頼らざるを得なかったのだ。自分という人間の過去や生い立ちに人がこだわりを持つのも同じことがいえる。もしそれを越えることができるものがあるとしたら、絶対権威としての神や仏しかいないのだ。だから、権威や権力者はみな宗教を怖がるのだ。

経営者の資質の一つは何かというと、必ず未来を描いてみせることのできる人だということだ。人が生きる上に一番重要なものは何かというと「希望」である。希望があればある程度の困難にも目標を持って乗り越えていくことができる。しかし「希望」を失った瞬間に崩壊現象が起こるのはいうまでもない。経営者にはその「希望」を現実に展開させられる資料と具体的な計画性をわかりやすく伝達する力が問われるのだ。しかし、実力社長に次ぎに問われるのは、心のよりどころとしての安定した権威であるということは間違いない。この権威と実力の二つの車輪を備えてこそ、長期にわたる経営を維持できるのだ。そういう意味で徳川家康は賢い人であった。

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格言ー時代の風は変えられぬものなり。
格言ー時代の風は変えられぬものなり。
---葉隠聞書
(山本常朝口述・田代又左衛門筆録鍋島藩記録)---

たった今「web2.0時代の資本主義」というような題の講演録を聞き終わったところである。まあ、田舎にいると大東京のような恵まれた環境にないので、これは聞きたいなというような、いい先生のお話も聞くチャンスに恵まれない。しかし、持つべきものは友でこんな面白い話があるよなどと気楽にネット上でデータを送ってくれる。だから、日本海岸の縁にへばりついて住んでいるような僕でも、最新の東京の講演を聴くことができるのだ。これはまさに時代の恩恵そのものである。

話の内容はこれからの社会はweb2.0でどんなふうになるのか?ということなのだが、何だかその昔学生時代に今の時代を批判し、理想社会はこうでなければならないなどと、息巻いていたころを思い出させてくれるような話なのである。といって今更そんな政治運動の話なんかではない。実際のテクノロジーが生み出す社会現象の変化の至極現実的な話なのだ。団塊の世代に近い僕らが一度は挫折したような世界がひょっとすると近い将来に実現できそうなモデルがもうそこまで来ているという可能性を様々な現象から実証してみてくれたのだ。

ボルシェビイキが率いたソ連社会主義の偉大なる実験は、結局は徒労に終わった。そして、理想を掲げながら結局は秘密警察と密告というどうにもならない前近代的な政治制度をもたらしたにすぎなかった。今でも北朝鮮は、共産主義の幻影からさめていない。もっともこの国は家父長的軍事独裁国家なんだろうから、厳密には共産主義国家とはいえないと思うけどね!中共の毛沢東は「政権は鉄砲から生まれる」といったそうだが、確かにその通りだ。そして、小平が共産主義に基づく改革開放路線を主張して実権を握ったが、その鉄砲から生まれた政権は自由な発想による経済の力によってこれから大きな変容を迫られるのではないかと思う!

「白猫であれ黒猫であれ、鼠を捕るのが良い猫である」というのは、小平の言葉だが、時の流れは間違いなく進化(発展)の方向へと向かっている。一日たりとも停滞を許さないというのが本当だ。時代が人をつくるというが、時代の中で人は活躍できたり失敗したりとしているのだ。逆に言えば時代を読むことのできる人が活躍できるということなのだ。今の時代はまさに産業革命以来の革命の時代を迎えているといえる。この時は、グーテンベルグの印刷機が聖書を人々の手元にもたらすことによって、思想の変革をもたらした。今やITの技術が人々の価値観を大きく変容させようとしている。時代の流れに身を置いてこそ、新しい価値観を獲得し、共生共栄という新しい時代を背負うことができるのだ。

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格言ー悪行愚業をしてはいけないと百も承知していながら、それでもやってしまうのが人間なのだ。
格言ー悪行愚業をしてはいけないと百も承知していながら、それでもやってしまうのが人間なのだ。
---エドガー・アラン・ポー(アメリカの作家)---

人間の業というのか、どうしようもない人の所業を自分がやってしまうことに、我ながら愚かさを感じるのだが、これもなおらぬものとあきらめた方が良いのか迷うところだ。例えば、凡夫には悪行をするほどの勇気はないが愚業は大いにある。ご飯は腹八分などと昔からいわれている当たり前の健康法だ。なのに、ついつい食べ過ぎる。それだけなら良いのだが、飲み過ぎるという人もいるだろう!日常の些細なことにも、自分の愚かさをかいま見ることができる。

何で寅さんや釣りバカの浜ちゃんが映画で人気が出るのだろうか?と考えって見ると、自分たちと同じ愚かさをクローズアップしてくれているからなのだと思う。それに、浜ちゃんの場合はステータスのあるスーさんも、時々あらぬ愚行に走ったりするときがある。そういうときは、してやったりと心の中で叫んだりするものだ。したり顔で生きている偉い人たちも、やっぱり我らと同じ凡夫なのだなあと妙な安心感を持ってしまうのだ。人とコミュニケーションをとるときには、格好いい話よりも、愚痴話の方が受けるのは同じ悩みを抱える凡夫の親しみやすさがあるからだろう!

種田 山頭火という自由律俳句をつくり続けた旅の俳人がいた。実家の造り酒屋が倒産し、離婚もし、自殺未遂もして、旅を続けながら俳句を作り続けた人がいた。最後は松山で草案を結んで生涯を閉じたのだが、僧侶でもあったのだ。しかし、酒からは逃げられなかったようだ。その彼が残した俳句は今でも人の心を動かす自然の力があるように思う。「いつも一人で赤とんぼ」「其中雪ふる一人として火を焚く」など、俳句なのか独り言なのか分からぬが、何故か心に響くものがある。自分の弱さを見続けた人でもあった。

第コリント4章11節~には、次のようにある。
「今の今まで、わたしたちは飢え、かわき、裸にされ、打たれ、宿なしであり、苦労して自分の手で働いている。はずかしめられては祝福し、迫害されては耐え忍び、 ののしられては優しい言葉をかけている。わたしたちは今に至るまで、この世のちりのように、人間のくずのようにされている。わたしがこのようなことを書くのは、あなたがたをはずかしめるためではなく、むしろ、わたしの愛児としてさとすためである。」
愚かであり、それを知りつつ偶業を重ねても、それでも相手に優しく祝福する。そういうことができるということが、本当の愛情を持つということなのだろう!山頭火はそんな生き方を示してくれているようで、いつも心が素直になる。

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格言ー人は常に、浄玻璃の鏡に日夜の振る舞いのうつることを思うべし!
格言ー人は常に、浄玻璃の鏡に日夜の振る舞いのうつることを思うべし!
---明恵(華厳宗の僧侶)---

鎌倉時代に生きた明恵上人は面白い人で、この時代多くの新興仏教が起こった中で一宗派を立てるべきでもなく、唯一自分の生き方を貫いた人である。それに飾らない自然体の人柄は多くの人に慕われたそうだ。明恵上人の考え方は、一言で言うと「あるべきようわ」で」あるそうな!その明恵上人は、仏教史上まれに見る高潔な人士であり、一度も女犯の罪を犯さなかったといわれている。

そんな人いるのかと、疑いたくなるのだが、仏教史学者の辻善之助先生が言っているのだからたぶん間違いない。でも、こんな聖人君子ばかりだとそのうちに少子化がどんどん進んで日本の国が滅びてしまいそうだから、やっぱり我らのような凡夫は必要なのかも知れない。などと自己正当化しても、何だか胸のあたりがもぞもぞするようでたまらなくなる。まあ、明恵上人の「あるべきようわ」は、孤高の主体性というものかも知れない。

浄玻璃というのは、水晶のことをいうのだそうだから、占いではないが水晶玉に映される自分を見つめて、己の行いを検証しなさいということなのだろう!まあ、会社の上司にチェックされるよりは自分でチェックした方が良いのだから、それもありかも知れない。いずれにしても、浄玻璃とはいい表現をしたものだと思ってしまった。自分を見つめるのが日本人はとても下手なように思う。一神教文化圏と違って神に対する自分という世界をなかなか持ち得ない日本人は、自分の鏡を人に求めてきた。そこに日本人の限界がある。それを明恵は浄玻璃で現そうとしたのだ。

時は巡るという。失った時を取り戻すことはできないのだが、その時の状態を再現しそれを取り戻すことは可能かも知れないのだ。そういうことからいえば、人は常に過去と向き合いながら未来に向かっているといえるのだ。昔、日本の農村には村の規律を破ったものには、村八分という掟があった。これは慈悲である。村という共同生命体の社会では、その協力体制を破ることは”死”を意味するからだ。訳あって村八分になった者は村社会で孤立してしまうのだが、それでも冠婚葬祭だけは別だったそうだ。だから、村の死に対する制裁としては”慈悲”なのだ。ここにも社会という浄玻璃が個人を写している姿が見える。
一番は自分自身が心に浄玻璃を持つことなのだろう!

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格言ーたけき者もついには滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ。
格言ーたけき者もついには滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ。
---(平家物語の一節)---

諸行無常の理をうたったこの一節は、この世の勝ち組負け組で一喜一憂することのむなしさを現しているようだ。もちろん諸行無常は、この世の流転変転するとどまることの知らないときの流れの中における自分の存在というものの価値を問うているのではあるが、決して悲観しているのではないのだ。「盛者必衰の理」ととらえがちだがそうでもない。もっと冷徹に無常であることの意味を問うているのだろう!

僕的には、儒教の問題点は、古のことを基準に持ってくることなのかも知れないと思う。過去に基準を持ってくれば発展するものも発展しなくなる。そういうことから見ると、仏教は無常観を持つことで次の世代への発展を目指しているのかも知れない。そこで問題なのは無常の方向性である。そこに諸法が課題となる。仏法の「法灯明」だ。法がなければ先が見えない。法を持って無常を実現させる。その理を知ることこそ重要だ。

よく祟りがあると迷信のようなことをいう人がいる。「たたり」というのは、「多々」の理であるということだ。迷信のようでもそれが信じられるようになった何かの理由がそこにはあるという真実だ。そういうことを疎かにしては無常はただの堂々巡りになってしまう。世の中を見回して、そのような価値観の中に何が存在しているのかということを考える必要がある。物質的な豊かさの中に理想を求めて貧しい生活をする夫婦がいるとする。片や享楽の中にある夫婦がいるとする。無常の法則は前者にある。後者は「風の前の塵に同じ」ということになるのだ。

平家物語は今なお現代に生きる私たちの心に警笛を鳴らしてくれているようだ。もう一度、平家物語を一節を繰り返してみよう!これを逆説的に読めばいいのだ。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。秦の趙高(ちょうこう)、漢の王莽(おうもう)、梁の周伊(しゅい)、唐の禄山(ろくさん-安禄山)らも旧主先皇の政治に従わず、楽しみをきわめ諫言も聞かず、天下の乱れも知らず、民衆の憂いも顧みないので亡びてしまった。」

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