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健康・美容・ビジネス思いのまま日記
健康情報、美容情報、アフィリエイト、ビジネス情報など思いのままを日記にしました。
プロフィール

遠山快空

Author:遠山快空
1952年生まれの辰年、「社名 社長占い」サティソフト」「コーチング夢幸房」などのサイトを運営中です。インターネットは様々な可能性を持っているので、これからもアイデアをどんどん出して挑戦していくつもりです。

情報を発信することは、情報を受けることと同じくらいに大切なことと想います。小さな交流でもそれがいつか大きな交流につながると思っています。
だから小さな交流を大切にしようと思います。

そんな情報を集めていると、すごいものにぶち当たりました。
2011年の10月に日本に始めて入ってきたインターネットビジネスのトークフュージョンというのがあります。なんといっても3分で収入が入るという、インスタントペイのシステムを持っているのです。「え!今までにないビジネス」
「しかも、まだ日本に入ってきて間がない!」
これはチャンスですよ! そう思った方は以下のURLをクリック。ここでトークフュージョンのいろいろなことがわかります。
ここで、登録もできますよ。今がチャンス!

http://www.yo-in.net/future/future.html


現在四つのサイトを運営中

★「天使の占い」http://www.yo-in.com/
★「コーチング夢幸房」http://www.kakei-shi.net/
★「社名 社長占い」http://www.syamei.net/
★SEO対策とセミナーの「サティソフト」http://www.satieweb.net/

趣味は無趣味というのは、どうかと思うので学生時代は剣道。
水泳は平泳ぎしかできません。
社会に出てからは、射撃に懲りました。エアーピストルの選手でもありました。僕の先生は、富山国体で優勝した方です。
2011年の11月末にタイのプーケットに行って、実際にピストルを撃ってきました。
やっぱり本物は緊張しました。でも、射撃場の人にリップサービスかも知れませんが、プロ級と褒められたのが単純に嬉しかった。



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格言ー大きいものが小さいものと戦いやっつけることは卑怯である。
格言ー大きいものが小さいものと戦いやっつけることは卑怯である。
---藤原正彦(お茶の水女子大学教授)---

大きいものと小さいものとの戦いは、ズーッと太古より行われていた。そして大体が大きいものが勝って、小さくて弱いものはいつも負けながら生き延びてきた。そういう歴史がある。だから大きい者は強い。強い者にはどこかで従えというのが処世術だ。「長いものには巻かれろ」というのは、日本人がもっている生き方そのものかも知れない。

それでも、それに本当は潔しとはしていないのが心情でもあるだろう。その証拠に、織田信長や赤穂浪士に人気が集まるのは、弱いものが強い者に打ち勝った良き例だからではないか?現代社会でも、結局は大企業が市場を独占して、中小企業はその下で甘んじなければならないのか?いつの世でもそういう不条理が常にあった。血筋信仰も厳然として生きている。源平藤橘の流れ・・今でも、万世一系の天皇家は日本人の先祖だ。時折そういう流れに中断と変化が起こる。それが革命だ。戦国時代もそういう意味では、下克上という革命だ。明治維新も革命であった。

生き残った人が本当の勝者ならば、どんなに武力を持って強くても、権勢を誇っても、結局は彼らは弱者ということになる。本当に勝者になれるのは一握りだ。しかし、そうでないが勝者になれる人がいる。それは長い耳を持った人だ。情報をいち早く知ることが生き残る道につながる。秀吉は結局権勢を誇ったが滅んだ。家康は、関ヶ原では情報戦に徹した。戦う前に勝つ方法を練ったのだ。諸侯に手紙をどんどん送りつけたのだ。うさぎの耳は今でも有効なはずだ。信長は、今川軍の攻勢の中で絶体絶命の状況に情報をしっかりと握っていた。だから、桶狭間という地理的な状況を有利に利用した。情報が戦機を作ったのだ。

いつの世でも、大きいものと小さいものとのしのぎを削る戦いは続いている。自然界では食物連鎖の法則の中で頂点に立つ肉食動物は決して大きくはない。それに対して、おとなしい草食動物は大型の動物が多い。そう考えれば、小さいものは常に肉食動物のように集中して目的を絞った行動をした方がいい。大きいものは、悠然としてフィールドに生きていた方がいいのだ。そういうバランスが保たれている。それなのに、今は大きいものが小さいものと同じように獲物を絞って攻撃する。そういうところが現代の下克上のような気がする。それならば今も革命は続いている。

占い一言居士:
命名はその人の宇宙の世界を決めるようなものだ。しかも自分が自分の宇宙を運用することができる。それが命名によって自分の運命式を知るということなのだ。だから、命名はそれだけ人生の価値を決める重要な儀式ということが言える。

by 赤ちゃんの命名・改名・相性占いは天使の占い!
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テーマ:日記 - ジャンル:日記

格言ー子どもを育てる究極の目標は、子どもがひとりで生きていけるようにすることです。
格言ー子どもを育てる究極の目標は、子どもがひとりで生きていけるようにすることです。
---中谷彰宏(作家)---

「巣立ち」ということがある。動物や鳥の世界では「巣立ち」がその世界で一人前になって生きていくことのできる証明なのである。それでも、生き延びるのが大変な世界であることは間違いない。そのくらい自然界というのは厳しいのだ。不思議と自然界では老人ならぬ年老いた獣の姿は見あたらない。何故ならば、年老いた獣たちは草原の掃除や達によって既に葬儀が済まされてしまうのだ。

学習という言葉がある。「学んで倣う」ということだ。教育とは違う。学習こそ教育の本質ではないかとも思う。自分自ら学ぶ意志がなければ、学んだことを実践できるはずがないと思うからだ。動物たちは、たとい本能とはいえ、生きていくことを学習の段階で伝授する。それは仲間とのコミュニケーションから、餌の取り方狩りの仕方まで様々な内容である。そういうことを親が体感させるのである。そこが知能をつけた人間が動物から学ぶべきことなのかも知れない。

家庭は何故必要なのか?近頃家庭と学校の関わりがいわれている。最近の親は質が低下してきているせいか何でもかんでも学校の性にする。とんでもない話だ。学校は確かに大きなウエイトを占めてはいるが、それは知識という面だ。それから、団体という大きな人間の塊の中でどう生きるかということだ。家庭というのは、もっと個人の内面的な部分を親と子、兄弟の間で学ぶべきものがあるのだ。躾けといわれるような部分だ。子どもに対する責任は、その中心は学校の先生ではない。あくまで親なのである。

独り立ちするというのは、孤立するというのではない。自分の主体性で生きていくということなのだ。多くの動物は、巣立ちをするときには親が子どもを追い出す形になる。それくらい、子どもの方が親を慕う気持ちがある。しかし、親がそれを許さない。それくらい厳しいことを知っているからだ。人間の親も自分自ら子どもを追い出すくらいしっかりとすべてを伝授したということがあってもいいではないかと思う。そうはいっても、我が家も「巣立ち」はまだまだ先が長くなりそうだ。

占い一言居士:
命名するというのは、ちょうど人間が人間として出発するような儀式ではないかと思う。命の息吹を吹きいれるようなものといえる。だからこそ「命の名」と書いて命名ということになるのだ。だからこそ親の方は、命を吹き込むような努力が命名には伴うことになる。それで始めて子供の方も出発が出来るのだ。

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格言ーわれは悪ろしと思う人なし。
格言ーわれは悪ろしと思う人なし。
---蓮如(浄土真宗中興の祖)---

人間というものはとても始末に負えないところがある。それはまたどうしてかというと、自分の顔が悪い顔でどうしようもないと本当に思っている人はいないはずだ。まあ、多少人並みより劣っていても、こんな良いところもあるーあんな良いところもあるとどこか気に入っているところを長い間付き合っているうちに発見しているものだ。だからどこかで自分の顔はいい顔をしていると勝手に思っている。

行動もそういうところがある。悪いことをする奴も、どこかでこれは正しいことをしてやっていると自己を正当化しながら悪事をしているのである。それがなければできないのが人間だ。悪事を行いながら、それでもこれも必要なことなのだと思うところがある。しかし一番悪い奴は何かというと、大義名分を掲げて、これは絶対に善だと吹聴しながら、その為の理論を組み立てて、悪事を行う奴がいる。これこそ本当の悪魔だ。

筑波大学の名誉教授の村上和雄先生の話を聞く機会があった。その中で先生は宇宙の最初のビッグバンは小さなピンポイントのようなところから始まった。で、そのピンポイントのような点はいつから始まったのかというと誰もわからないという。だから皆何もわかっていないのだということらしい。それを聞いて思うところは、結局は誰もわかっていないから皆何かを勝手に信じて生きているに違いないということだ。村上先生はそこで自分の遺伝子をONにする生き方を説いておられるのだ。そこで、遺伝子には善悪という考え方はあるのかということなのだ。

調和と創造という大自然界のシステムを考えていると、たぶん悪などという概念は端からなかったのではないかと思う。人間が勝手に悪とか善という概念を持ち込んだに違いない。すると結局は皆が自分は正しいと思える状況を願うことになっているということになる。でも結果的にそれをねじ曲げるような事をしでかすのは何故ですか?人間さんよ!ということになるのである。悪という概念がどこから来たのかというのは謎のままであるが、村上先生の考え方からすると、悪も善を装わないと生きていけないということなのだろう!そんなややこしい生き方をするくらいなら、「正直」で生きる方がシンプルでわかりやすくていいと思う。

占い一言居士:
占って欲しい人の気持ちを考えると、占いは真剣に取り組まざるを得ない。何故ならば、占いに申し込むというのはコンピュータ占いのように遊び半分ではないから、それは真剣勝負になる。一つの判断基準を相手に提示するものだからだ。それによっては人生の方向性が変わるかも知れないのだ。何しろ占いは太古の昔国家の方向性までも決めていたというくらいだから、昔から人間は神秘の力を信じていたに違いない。今でもその力は衰えていない。

赤ちゃんの命名・改名・相性占い・姓名判断はメール鑑定の「天使の占い」

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格言ーどんなにその人を愛していても、その人のために全てを犠牲にしてはならない。
格言ーどんなにその人を愛していても、その人のために全てを犠牲にしてはならない。
---曽野綾子(作家)---

愛するということの難しさは、それが本物ならば、後々になってもその愛情が変わらないことをいうのである。ところが時が変わり状況が変わり環境が変わってくると、一生懸命に愛したと思っていたことが本当だろうかと考え込むようになることもあるだろう!それならばまだいい。時間が愛を憎しみに変えることだってあるのだ。愛した人に憎しみをぶつけるようになっているが、実は自分に向けられている憎しみでもあるのだ。何でこんな人を愛してしまったのか?というね!

人間は愛する人ができると、その人に向かって何かをしてあげたい衝動に駆られる。それが愛情から来る行動の本質だ。そこには、見返りの動機はない。だからこそ純粋といえる。そこが怖いのだ。計算された行為は決して愛情とはいえないまでも、安全弁が働いている。どちらも傷つかない方法をとって利益を与えているからだ。しかし、愛情というのは、一方向では愛情としては完成しないのも愛情の特徴なのだ。だから自分が愛した愛情は、時を経ても必ず相手からも愛情として戻ってこなければ、心が納得しない。それが愛情の条理なのだ。だからこそ、一方的に与えてきた愛は、それが時を経て戻ってこないことがわかると、自分の愛情に恨めしさが残ってしまうのだ。

難しい課題がある。人は何故永遠の愛を求めるのかだ。永遠でなくても現状の継続や安定性を求めるのは、人間の基本的な欲求である。だから、愛情も今のよい状態がずっと続けばいいと願っている。それに、命にしてもそうだ。頭では万物の生成流転の法則は知っているのに自分だけは少しでも人より長く生きたいと願う。愛は甘美で感動的だ。その情動は誰にも押さえられないほどの強さを持つ。そういう愛情が、人間の行動の動機にいつもついてまわる。その人が悪くなるかどうかは、その人の心の動機を見つめるのが一番だ。動機を見ていれば方向性がだんだんわかってくる。そうすると、善悪を見分けられるようにもなるのだ。愛情もどこかで冷静に動機を見ておく必要がある。そうすれば、情動が激しくおきたときにも常に理性のレールは失われていないのだ。

だからなんだというのだが、人なんか愛するな!といいたい。人を愛そうと努力する人は結局自分を愛してもらいたいという反作用の動機を必ず持っている。だからそういう人は危険なのだ。それよりも自分をもっと愛せよといいたい。自分を見つめて自分を大切にする人は、結局は人にも大切にされる。自分を愛するためには、人も愛さなければならないからだ。自分で犠牲を強調する愛はウソの愛情だ。人のために投入する行為そのものが、すでに自分に対する愛情になっているからだ。だから、人は誰も何かをする創造という愛の行為にに関わっていたいのかも知れない。それが喜びなのだと思う。

占い一言居士:
相性占いは、自分占いでもある。自分の付き合う相手を見れば、自分のレベルが自ずとわかるからだ。だから、相性占いでどうにもならないような男や女に未練を持っている人がいるが、自分のレベルを少し上げる努力をすれば、何であんな人に執着してたのか!と簡単になってしまうものだ。そういうこつをつかまえることは経験かも知れない。

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格言ー夢の間の世の中に、好かぬ事ばかりして、苦しみて暮らすは愚かな事なり。
格言ー夢の間の世の中に、好かぬ事ばかりして、苦しみて暮らすは愚かな事なり。
---山本常朝(肥前国鍋島藩藩士・葉隠れを著す)---

封建社会のトップ階級にいる武士でも様々なことがあるのだから、それ以下の人々にとっては暮らしにくい世の中であったのかなと思ったりはしますが、どうでしょうか?当時の人々の気持ちになってみなければはかり知ることはできないでしょうが、少なくとも封建社会という枠組みの中では、大きな自由は望むこともできなかったでしょうね!

福沢諭吉は「門閥は親の敵でござる」というようなことをいっていますが、ガチガチに固められた封建社会では、限られた選択肢しかなかったのですから、その中で自分をどう表現するかという実にかわいそうなところがあったと思います。この世は「手のひらに舞い降りた雪の如くはかなき時間なり」というわけでしょうが、だからこそ「好きなこと」をたしなみたいというのは、人間の求める本性なのではないかと思います。

今の時代よりはるかに生きること自体が苦しみであり苦労が多い時代であったのですから、そういう中で小さな楽しみを見つけるのは、なかなか大変なことであったろうと思います。そういえば吉田松陰の生家は貧しくて大変であったが、その中でも欠かさなかったことは唯一風呂を焚くことであったそうな!1日の垢を落として身を清めることこそ重大なこととしてとらえていたようである。それが一日を終える儀式のようなのであろう!

考えてみれば無常の世の中に、価値を見いだして生きることを日本人はよく生活の中に取り入れてきたように思う。宗教などと堅苦しいことをいわなくても生活化して生きる知恵を持っていたのが日本の伝統なのかも知れない。朝の儀式は「おはようございます」のあいさつ。人に会えば時候のあいさつ。食事には「いただきます」のあいさつ。ちょっとした儀式の合間に自己を表現する。そういう業を持っているような気がする。儀式は人に向かうものではなくて、神仏に向かうものだから、自ずと心も清浄になる。そこにちょっと自分を出してみれば楽しくなるじゃないかと思う。

占い一言居士:
改名することは、大きなチャンスをつかむことと同じである。何故ならば、今まで自分をアピールしてきた世界と違う可能性を自分が手にしたことになるのである。だから、そういう意味では新しい出発点に達したのである。人生は螺旋階段の如くである。その階段を大きくレベルアップすることが可能性として改名にはあるのだ。だからこそ、改名後の歩がとても大切になる。

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格言ー人はそれぞれだ。
格言ー人はそれぞれだ。
---奥田英朗(作家)---

みんなが違っていて良いではないか!違いを認める社会こそ健全ではないかと思う。日本人の悪い癖は、みんなと一緒でなければならないということだろう。どうしてみんなと一緒でなければならないのか?その理由を問い詰められると、ちょっと返答に困るのが本当なのではないか?日本人の中にしみこんだ民族の癖みたいなものが染みついている。

村落共同社会の中で、集約型の農業を強いられてきた長い歴史があるからどうしても、みんなと歩調を同じにしなければうまく物事が進まないではないかという不安がいつも根底にある。そのことが人と違うことをする人間自体を異端視してしまうのだ。だから村の掟を破れば、共同社会からの制裁が待っている。村八分だ。共同作業から締め出しをくうわけだ。これが一番恐ろしい。日本人というのは共同体や組織に所属していることで安心立命を覚えるのだろう!

差別と区別は違う。誰でもそのことばの意味は知っている。しかし、そのことばの通りに実践している人はどういうわけか少ない。男女は差別してはいけないが、区別しなければならない。差別をするなというならば、男も女も何もかも一緒にすれば良いではないか?女も男と同じように仕事をし男と同じように評価を受ければいいではないか。トイレも何も男も女も同じにすれば良いではないか?電車で女性専用車両などは差別だからやめるべきだという意見が出ても不思議ではない。ここまで来ると、差別も区別もごちゃごちゃになってしまっている。

差別というのは、格差をつけることで相手に精神的に物質的に不平等感を与えるということである。区別というのは肉体的構造や精神的な構造の違いによって配慮をすることではないか。そういうベースができていて、そこから人の考え方や価値観の違いというものがあっていいのではないか!人間という社会はそういう違いが沢山ある人々のモザイクのような集まりで何かの形ができているのではないかと思う。その違いを否定して、みなが同じでなければならないとしてしまえば、かえって苦痛の社会になってしまう。それぞれの違いが楽しいではないか!

占い一言居士:
命名するときは、親の方はいろいろな想いを持つものだ。その子供に対する夢や希望が膨らんで大きな欲望を持つのも親に違いない。しかし忘れてならないことは歩む人生は子供が主体であるということだ。その子供のために環境を設定してやるのが親の仕事だ。そう考えれば命名は、その子の未来の可能性を賦与するということに他ならない。それは親だからこそ持っている権限なのだ。

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格言ー百両の黄金は惜しまず。一飯は軽んぜず。
格言ー百両の黄金は惜しまず。一飯は軽んぜず。
---沢庵(臨済宗の僧)---

お金に関わることは、なかなか難しいことが多い。何故ならば、お金はその人のいろいろな背景が見えるようになるからだ。確定申告の時期にはそういうドラマが展開するようだ。社会的にはいろいろと体面を繕って生活しているようなのだが、お金の流れを見ると、その人が本当は何をしてきているかがよくわかってしまう。研修で外国へ行ってきました。などとうたっているが、実際はただの遊びであったという類のことはよくある話だ。

そういう意味では税理士さんというのも因果な商売と思う。見なくてもいい人のあらまでわかってしまうのだから、まあ税理士さんに頼むときはよほど信頼関係を築かないと、ちょっと任せられないような気がするのは僕だけだろうかな?別に悪いことをしているわけではないのだが、仕分けの仕方では税金の行方に大きく影響するからなのだ。それにしても、お金というのは集め方の問題と使い方の問題があり、もう一つそれを管理する人の問題もあるということがわかる。

何でもお金の尺度で価値を決めるというのは、正しいようで疑問も残る。何故ならば、大きなお金が動いていくような仕組みを作れば、お金の流れが大きな流れになり、それだけ利益も大きくなるのは当たり前だ。かといってその人の仕事が大きな価値を生んでいるということではないはずだ。だから金を儲けてお金を持っていることが立派なことではなく、どんな仕事をしたかに価値があるということなのだ。立派な仕事をしても、それがお金になるということとはつながらないことも多いのだ。そこが難しいところだ。僕ら庶民がお金に複雑な感情を抱くのはその辺の人情の機微があるからではないかと思う。

一宿一飯の恩義という言葉がある。これなどは任侠の世界でよく使われたらしいが、今ではちょっとしたことでも忘れない恩を感じるという程度に使われるらしい。どちらにしても、一飯というのは直接人の命を養うものなのだ。そこが大切なのだ。お金という価値は、確かに何にも代え難いほど重要なのだが、それでもお金が人の命の血となり肉となるわけではない。一杯の水、一椀の味噌汁や飯が人の直接の命に影響を与えるということだ。「命を犠牲にして代わりに命を得ている。それが人というものだ」沢庵和尚はそう言いたかったのではないかと思っている。

占い一言居士:
占いではよくお金の占いがある。皆さんお金が儲かるようになどという占いばかりなのだが、儲かることだけを考えている人は結局は損をするのではないかと思う。お金というのは、本来流通することを目的にしている。お金を物の象徴だから、物というのは流通してこそ全ての人に恵が行き渡るのである。その為のお金なのだ。だからお金の使い方を考えた上でのお金の集め方が必要になる。呼吸と同じだ。

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格言ー潮に逆らって泳ぐのをやめ、時の流れと共に生きなさい。
格言ー潮に逆らって泳ぐのをやめ、時の流れと共に生きなさい。
---マーフィー(アメリカの教育者)---

「機を見るに敏」「時流を読む」世の中をうまく渡って行くには、こういう能力が必要なことはいうまでもない。そうすればうまくいくだろうということぐらいは、誰でもわかる。それは、”理”の世界だ。その通りであることくらいは頭では理解しているが、心はそうでもないということがある。頭で理解することと心の情的な世界は別物なのだ。

反骨というのは、多分に情的な言葉だ。合理的な判断に対してとても非合理的としか考えら得ない判断をすることがある。それは、多分にこの”反骨”の心情があると思う。世の中には不器用な生き方しかできないという人がいる。そういう人は、”理”の世界ではなく、”情”という世界で生きている人たちなのだろう。頭の良い生き方ではないかも知れないが、人はこういう不器用な”情的”世界で生きる人に大きな共感を覚えるのは何故だろうか?

「韓国は一個の哲学である」確かこんな不思議な題名の本があった。この本によると、韓国という国は理と気の二大勢力のせめぎ合いの国だそうだ。その中で理が中心勢力で、その理の世界から追われた人々が気の世界を形成しているらしい。たぶん気というのは”情”的な世界を意味するのではないか?そう考えるとわかりやすい。建て前と本音だ。そういえばこの国は妙にメンツにこだわる。それが異常なほどだから日本人は時たま面食らうことがある。そうかと思えば極端に人情にもろいところがある。不思議なことにこの気の世界に住む人々も自分たちのこととなると途端に自分たちが如何に”理”があるかを延々と主張するようになるのである。

時流に乗るというのは、時の流れに身を任せてその中で如何にうまく泳ぎ渡かということを意味するのだが、反骨であったり、自分の”理”を持つ人々というのは、時流というものとはあまり縁がないような気がする。主体が自分の理であったり、反骨であったりするからだ。時を主体にしていない分だけ、外れれば反動も強い。うまくいかないことも多いのだ。しかし、もし時とマッチングしたときにはものすごく強くなるという可能性がある。時を味方にする生き方だ。難しいけれど、そういう生き方は格好いいと思う。

占い一言居士:
相性占いは、どんな霊がとりついているとか、相手が今自分のことをどう考えているとか、そういうことを観るものではない。冷静に考えれば当たり前のことなのだが、当事者には「藁にもすがる想い」があるから、相性占いでそういうことを要求するのだろう!本当はもっと本質的な問題を相性占いは判断するものなのだ。その時だけの「刹那」を知りたい人は、そういう願いに応えてくれる霊的な専門家がいるはずだ。

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格言ー自由は外的な事実の中にあるものではない。それは人間のうちに
格言ー自由は外的な事実の中にあるものではない。それは人間のうちにあるのであって、自由であろうと欲するものが自由なのである。
---エルンスト(ドイツの哲学者)---

自由というのは、別の見方をすれば不自由であるからこそ生まれた言葉なのかも知れない。ヘーゲルは「世界史とは、自由の意識の進歩以外のなにものでもない」ともいっている。人間が失われた自由を取り戻す歴史こそ世界の歴史の流れというものだ。それではいつ人間は自由というものを失ってしまったのだろうか?果たして、われわれが考える自由というのはいったい何なのだろうか?

「free」という単語を自由という訳し方をした福沢諭吉は「自らをもって由とする」という意味をもってfreeを訳した。自由というのは、あくまで自分が主体なのである。全く人間はこの自由ということをこの上なく愛しながら、この自由を待て余してもきた。自由であるが故に苦しまなければならないこともあった。それは何故かというと、自由は自分が主体であるからこそ、その結果責任は自分に返ってきたからである。それが嫌な人も多い。

マーク・トゥエイン(アメリカの作家)は「アダムはリンゴが欲しかったから食べたのではない。禁じられていたから食べたのだ」といっている。アダムがリンゴを食べたというのは、そのリンゴは自由の象徴であった。聖書には、その果物は私と一緒にしてくださった「あの女」がくれたのです。といって、食べたことの罪を自分の責任にしなかった。というくだりがある。それが元で、結局アダムとイヴはエデンの園から追放されるに至ったのである。このことは結果の判断は神が下すがその責任は人間が負うものであることを意味する。だから、自由の味が甘くなるか、それとも苦くなるかはそれを扱う人間次第ということになる。そのことは人間にとっては試練でもあるに違いない。それが大人になるということだ。

ピーターパンシンドロームというのがある。大人になりたくないのだ。誰でもそうだろう!重い責任をあえて背負うのは嫌に違いない。ここで考えてみよう!喜びというのはどこから来るのか?喜びは自分で作り出すというよりは、喜びというものがあってそれが向こうからやって来るということになる。自由というのは、そういう喜びが向こうからやって来る自分を造るということなのだろう!それが自分に与えられた自由というものだ。だから、人からもらったリンゴは、結局自分のものではないから人に責任を負わしたくなる。自由は自分自身で決めるものだからこそ尊いのだ。

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格言ー簡単に感化されることはたぶん、十代の特権に違いない。
格言ー簡単に感化されることはたぶん、十代の特権に違いない。
---伊坂幸太郎(作家)---

人間の頭は年をとると、ゴミがいっぱい溜まるらしい。パソコンもそうだがハードディスクの中には、整理されないゴミがいっぱいあってそれが処理スピードを遅くしている原因らしい。だから、購入してすぐには快適に動いていたものが、しばらくすると動きが鈍くなりどうもいけなくなる。

頭が痛くなって、何もうまく整理できないようになると人は年だなあと思ったりするのだが、それはこのゴミの性なのではないだろうか?それに違いない。と思いたいのだ。もしゴミの性ならば、僕にも救いはある。何故かというと、そろそろ年と思い始めて頭の動きを気にしているからだ。ちょっとしたことが思い出せなかったりする。何かきっかけをたどっていかないと目的のものが思い出せないでいる。昔はすぐにぴんときたのに、今はキリで終わってしまっている。情けないことだ。

良く老人が昔はよかったなあと、感慨深げにそらを見上げて思い出しているような光景がある。昔はふ~んと思っていたのだが、今は自分がそんな感じになりつつあるからたまらないのだ。小学校時代に僕が最初に読んだ本は「15少年漂流記」だ。これには感動した。ワクワクドキドキしながら、胸を躍らして本にのめり込んだものだ。それから本が好きになったし、漢字も勉強しなくてはと思うようになったものだ。今はあれほどワクワクドキドキということがなくなってしまった。たぶんこれも頭に溜まったゴミの性だと思うようにしている。

忘れるということが人間の特権なのは、新しいワクワクドキドキを仕入れるためだということなのだ。すると、自分たちは長い間社会の中で生きていく為にワクワクドキドキを捨ててゴミを拾い集めていたようなものなのだ。部屋を整理できない人は捨てられない人だという。だから、思い切っていろいろなものは捨てるべきだ。捨てる勇気がないとワクワクドキドキはやってこないではないかと思う。先ずは器を準備すればということだ。そうすれば、後からそこに水はちゃんと溜まるものなのだ。これも頭の環境を変えるということの一つかも知れない。これで、仮想十代出現だ。

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格言ー批判の中から新しいものが生まれてくる。
格言ー批判の中から新しいものが生まれてくる。
---中村元(哲学者・仏教学者)---

批判精神というのはとても大切なものだ。これがなくなると、物事の真実がわからなくなるからだ。しかし、批判というのは得てして組織の長から見れば面白くないものだ。だから、批判というのは、その批判をして封じ込めようとする。そして、組織は死に体になっていくようになるのだ。批判がちゃんと評価されていくような組織は、必ず発展する。

実は、そういう組織の土壌が大切なのだ。批判がちゃんと評価されていくような組織では、批判がだんだん批判にならずに建設的な代案がどんどん出てくるようになる。そうなると、組織自体が自分の持つ目的に従って自動的に動いていくようになるのだ。合目的的という言葉があるが、そのように自ずと自分が何をすべきかをわかるようになってくるから、そこがすごいところなのだ。そういう風土を作れるようになるかということが、リーダーの仕事心得るべきだろう!

筑波大学名誉教授の村上和雄教授の講演会に出る機会に恵まれた。遺伝子の話であったのだが、さすがアメリカで鍛えられてこられただけあって、ユーモアがとってもお上手で、その上内容の濃い講演であった。もっと話を聞きたいと余韻が残ってしまうのだ。お陰で、先生の著書を3冊も買ってしまった。その先生の講演の中で特に印象深かったのは「something great」というキーワードだ。遺伝子極めていくと、結局はこの「something great」でなければ説明がつかなくなってしまうのだ。アメリカのインテリジェント・デザインと似てはいるようだが、僕にはこの「something great」は、とてもわかりやすかった。

村上名誉教授は、遺伝子にはもともと利他的な要素があるというのです。だから人は「国のためや誰か人のため」という目的を持つのは、遺伝子の情報にかなっているというのです。アポトーシスさえも利他的な合目的的な自己犠牲ということなのです。そう考えると、批判をすることは結局は誰かのために役立とうとする意志の大きな現れと見ることができます。それをちょっと受け止めてあげれば大きな働きが生まれてくるのに、バカなリーダーはそれを封じ込めてみすみす発展のチャンスを失うことをしてしまうのです。それこそ遺伝子情報に背くことになるから、そういう人は長くないと思います。遺伝子はちょっとした環境の変化で眠っていたエネルギーが「ON」になるのです。だからいい返事をしてみましょう!

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格言ー無理に強いられた学習というものは、何ひとつ魂のなかに残りはしない。
格言ー無理に強いられた学習というものは、何ひとつ魂のなかに残りはしない。
---プラトン(古代ギリシャの哲学者)---

学習ということと勉強というのは、ちょっと意味が違うような気がする。勉強の中には努力や経験といったほかに学問や技術を学ぶことというようだが、学習の中には、学び習うという姿勢や、計画性、知識、態度、行動、好悪やなどまでも含めて体得することのようだ。だから、僕は勉強するというよりは学習の方がもっと幅が広くて奥が深い言葉のように思う。

だから僕の子供達には、勉強しなさいと言う言葉はあまり使わない。それよりも「今日は学習しましたか?」ということにしている。たぶん聞く方も勉強という言葉よりも学習という言葉の方が柔らかに聞こえるはずだから、強制されているような感覚を受けないですむと思う。それに、学習の意味は幅が広く深いので、「どんな学習をしました?」と問いかければ、学校であった様々な出来事まで話してくれる。だから、家庭での学習効果も大きいことがわかる。

里山におりてくる猿害が問題になっているらしいが、その猿の子育てには見倣うべきものがある。文字通り母猿は子猿に学習させるのであるが、それが実にうまいのだ。人間にも公園デビューというのがあるそうだが、猿にも集団へのデビューがある。人間は公園デビューがうまくいかないとそれで引っ込んでしまったりするが、猿はその点人間よりは頭が良い。最初は母猿が他の仲間と交流している。そして子猿は母猿から少し、ほんの少しと距離を離れるようになっていく。いつでも母猿は子猿を迎える姿勢がとれている。そういう安心感が新天地への冒険心を可能にするのだ。人間の問題点はこういう時期に子供との原信頼を築けないで終わってしまうことが問題なのだ。

学習ということの要点は、基本は主体性である。平たくいえば本人の自主性を高めることが必要ということなのであるが、何事も自分から出発しなければならないという基本があることがわかる。自分から出発したものは結局は自分に返るのであるから、ものごとは出発点をはっきりさせておかなければならないということになる。そうでないと、全ては親の勝手な強制と受け止められてしまい自分とは関係がなくなってしまうのである。自発性は求めて得られるものではないために、親の方は様々な工夫と同時に相当時間的な忍耐を覚悟する必要があるのだ。どちらにしても、学習というのは親と子と学校の共同作業であることは間違いない。そういう認識を三者が持てなければ、教育効果は上がらないと考えて良いだろう!

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