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健康・美容・ビジネス思いのまま日記
健康情報、美容情報、アフィリエイト、ビジネス情報など思いのままを日記にしました。
プロフィール

遠山快空

Author:遠山快空
1952年生まれの辰年、「社名 社長占い」サティソフト」「コーチング夢幸房」などのサイトを運営中です。インターネットは様々な可能性を持っているので、これからもアイデアをどんどん出して挑戦していくつもりです。

情報を発信することは、情報を受けることと同じくらいに大切なことと想います。小さな交流でもそれがいつか大きな交流につながると思っています。
だから小さな交流を大切にしようと思います。

そんな情報を集めていると、すごいものにぶち当たりました。
2011年の10月に日本に始めて入ってきたインターネットビジネスのトークフュージョンというのがあります。なんといっても3分で収入が入るという、インスタントペイのシステムを持っているのです。「え!今までにないビジネス」
「しかも、まだ日本に入ってきて間がない!」
これはチャンスですよ! そう思った方は以下のURLをクリック。ここでトークフュージョンのいろいろなことがわかります。
ここで、登録もできますよ。今がチャンス!

http://www.yo-in.net/future/future.html


現在四つのサイトを運営中

★「天使の占い」http://www.yo-in.com/
★「コーチング夢幸房」http://www.kakei-shi.net/
★「社名 社長占い」http://www.syamei.net/
★SEO対策とセミナーの「サティソフト」http://www.satieweb.net/

趣味は無趣味というのは、どうかと思うので学生時代は剣道。
水泳は平泳ぎしかできません。
社会に出てからは、射撃に懲りました。エアーピストルの選手でもありました。僕の先生は、富山国体で優勝した方です。
2011年の11月末にタイのプーケットに行って、実際にピストルを撃ってきました。
やっぱり本物は緊張しました。でも、射撃場の人にリップサービスかも知れませんが、プロ級と褒められたのが単純に嬉しかった。



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格言ー真に大志ある者は、よく小物を勤む。真に遠き慮ある者は、細事を忽にせず。
格言ー真に大志ある者は、よく小物を勤む。真に遠き慮ある者は、細事を忽にせず。
---佐藤一斎(陽明学者)---

小さなことを疎かにしないことが、成功へのステップというのはその通りである。ところが、小さなことにとらわれる人と、大志を抱いていて小さなことをしっかりとやっている人の見分けをどうするかというのが難しい。果て、自分はどうかというと、小さなことでもなく、大志を抱いているというのでもなく、どっちでもというようになってしまう。こういうのを”君子ではなく小人というのだろう”と思う。

くよくよするというのがある。くよくよというのが”小さなことにとらわれるということ”なのだろう。何かあればくよくよする。我ながら男らしくないと思うのだがしょうがない。人間というのは変なもので人のことは立派に批判できるのだが、いざ自分のことになると批判もできないし、客観的に判断もままならずというのが実体だ。やっぱり「小人閑居して不善を為す」ということになりかねない。

この際思い切って「パーッとやろう!」などといっても、小さな屋台でご託を並べ、パーッとチビリチビリお猪口を傾ける。威勢だけはいいのだが、やってることは小さい。酒の上で許されるレベルでしか自分を表現できない小さな人間がそこにいる。「人の悪口をしっかりと言っていながら、心の片隅で誰かに気兼ねしている」。そういう赤提灯は、お父さん達の心の溜まり場なのだ。それでやっと寝床に帰れるのだから、夜遅くなってお上に怒られるのもいいものだ。

大志を抱くというのは、古い話だが赤穂浪士の”大石内蔵助”のようなものなのだろう!彼は討ち入りという大目的のために、細心の準備をしながら自らは遊蕩に身を持ち崩したように見せかけて世を欺き続け、ついには武士の本懐を遂げるのである。大志を抱くというのは何と辛いものなのだろうかと考えてしまう。そこへいくと大志を抱けない僕たちは、その都度その都度の心のうさをチョビリチョビリと晴らしながら、自分を偽ることなく正直にいつも失敗しながら「小人道」を真っ当に生活している。それでも善しとしようではないか?

占い一言居士:
世の中の占いを見ていると、心理学をうまく使った占いの人がいる。「おうむ返しの法」である。相手のしゃべったことを繰り返ししゃべっていると、「この人はよくあたる」ということになる。本当の占いは予言でもないから、相手の心の隠れた部分を解放してあげることにある。

赤ちゃんの命名・改名・相性占い・姓名判断はメール鑑定の「天使の占い」

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格言ー恋については、いつだって女の方が、行動力も度胸もあるのだ。
格言ー恋については、いつだって女の方が、行動力も度胸もあるのだ。
---石田衣良(作家)---

恋というのは、昔の字の方が的を射ているような気がする。「戀」は『相手とのつながる糸と糸を、言葉を仲人にして結ぶ心意気』ということにでもなろうか?また、『糸?しさが二重に重なって言にもならない心』『糸しいと言えば尚糸しくなる心』『心を下におきながら、糸しいと言えない糸しさかな』『糸しいと言えば尚糸しさが増す私の心』

恋というのは、いつでも不思議な力を持つものだ。「火事場の馬鹿力」ではないが、自分でも思わぬ行動力を発揮するのだ。そういう経験は皆が一度や二度は持っていると思う。いつも恋をしているような人はもう遊びになっているから「恋の力」なんかは忘れてしまっているだろうが、昔のことをちょっとは思い出して欲しいものだ。そんな力を出した時があったはずだ。だから恋はいつでも青春の想い出になるに違いない。

西行法師はもと歴とした鎌倉武士で、名を佐藤 義清(さとう のりきよ)といった。名誉ある北面の武士であった。北面の武士とは上皇を護る警備隊で、眉目秀麗で武芸にも優れていなければならなかったから、それは名誉なことなのである。西行法師は歌人として後世にまでその影響を与えた人であるが、その出家の動機はというと、これもいろいろとあるがたぶん複数の事情が重なっての出家ではあるらしい。恋が原因とも言われている。それは、さる高貴な女性”との失恋らしい。北面の武士として出入りする鳥羽院の妃・待賢門院(崇徳天皇の母)に恋をしてしまったのだが、あまりに身分の違いからその恋をあきらめるために「歌」を極めようと出家したとも言われている。

恋は人生をも変えてしまう力がある。それだからこそ恐ろしいとも言えるのであるが、やっぱり素晴らしい方が大きいかな?そう思いたい心もある。時限爆弾みたいなもので、時を刻むごとに爆発のエネルギーを蓄えているようなものだ。恋の力というのは恋する人に対する”想いの力”でもある。人に想い想われると言うことが、長い年月繰り返されることによって、大きなエネルギーが蓄えられるようになるということなのである。そして、想う心と想われる心の交差点で爆発は起きる。

占い一言居士:
改名が自由でなくなったことは、現代人にとっては不便なことかも知れない。それは、自分を自己表現する手段を失ったことと同じなのだ。自分を創るということは、人に与えられた特権であるはずなだ。だからこそ、ペンネームということはいい考え方だ。ペンネームが私ですといって、自分をアピールすればそれが自分になる。

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格言ー年を取るっていうのは、そういうことなんですよ!
格言ー年を取るっていうのは、そういうことなんですよ!
---中村うさぎ(作家)---

「年は取るもんじゃない」そう実感するようなときが必ず来る。それ宿命のような気がする。誰もがたぶん通過する関門のようなものだ。だけれども、いざ自分がそういう境遇に直面したときに、「認めたくない」のだ。自分はまだ若い。だからまだまだなんでもできると思っている。心はそのように叫ぶのだが、身体という機械はそれについていかない。

「俺としたことが・・・!」なんて舌打ちするようなことがしばしばおこってくる。僕の場合はぎっくり腰から始まった。これくらいちょっとした疲れだろう!そう思っていた。現実は思いよりも過酷であった。たびたびぎっくり腰に見舞われるようになると、周囲は「癖になったね!年だからあきらめな!」「運動がたりないからだ!」等々親切なのかひやかしなのか、心配そうなおもしろ半分の囁きが聞こえてくる。そのうちに自分の身体が自分でないようなどうしようもない状況に追い込まれるようになる。それでもまだ「認めたくない」のが本音だ!

「月日は百代の過客にして・・・」などと客観的に見つめられる心境にはなかなかなれないということが、今になってわかるようになった。俳句など文学的なものにふれる機会が少なかったせいか、どうにも即物的である。鈴木正三は次のようにいっている。「一生はただ浮世の旅である事を悟って、一切の執着を捨て、欲を離れて商いをする・・・」思うように身体が行かないことになればなるほど、この身体に”執着する”「気」が抜けないのである。全く修行が足りないというほかない。最後は持病となってしまった心臓までおかしくなるからたまったもんじゃあない!

昔、田舎の祭などに行くとおじさん達に抱っこされて、よく大人の会話を聞いていてものだ。いつも口癖のように聞こえてくる言葉があった。「そりゃ、年のせいだ」というのである。何でも年のせいにしてしまっている。聞いている方からすると「年のせいって何だ!」ということなのであるが、その頃全くわからない大人の変な会話が、今わかるようになってしまった。これも「年のせい」に違いない。

占い一言居士:
夢というのはいい言葉だ。夢というのは今は現実ではないが何時かはそうなればいいなという希望だ。占うということはそういう夢の現実への一歩ということになる。相性占いをしてみれば、どうやって対応すべきかという小さな一歩が見つかるかも知れない。

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格言ー青春の特権といえば、一言を以てすれば無知の特権であろう。
格言ー青春の特権といえば、一言を以てすれば無知の特権であろう。
---三島由紀夫(作家)---

無知というのは、そういえば「特権」になるのだ。改めて気づかされたといえる。ちょっと意味は違うが「知らぬが仏」というのもある。どちらにしても、知りすぎているということは臆病になったり、警戒心だけが強くなったり等々で勇気を持って行動できないという弊害がある。だからこそ、それ以上知らないということは「それ自体が価値があることかも知れない」ということになる。

今から思うと勢いでやっちゃったことというのは結構ある。それがまた許されたし、それだからこそ結構結果も出していた。怖いもの知らずといえばそれまでだが、そういう行動は楽しかったのだ。学生運動も今から思えば勢い以外なにものでもない。イデオロギーを振り回していい気になっていて、ノンポリをあざけっていたが、結局はどちらが正解であったかはいまだにわからない。幕末から明治、大正、昭和へとつながる120年近くは日本の歴史上特異な時代であったと思う。イデオロギーが人を動かしていた時代なのではないかと思ったりするのだ。

幕末の長州藩毛利敬親公が「そうせい公」といわれていたことは、皆様ご存じであると思います。この難しい時代背景に、尊皇佐幕と藩論が分かれるようなときに何故「そうせい公」でいたのでしょうか?「そうせい」という言葉は、藩士にとっては自分の力を出すことのできる大きな力になったのではないかと思う。どんな意見でもちゃんと認めてくれる人がいる。「武士は己を知るもののために死す」という言葉があるが、これは現代でも同じような気がする。失敗を恐れずに頑張れと認めてくれる人がいれば、みんな力を出すものなのだ。

若者が頑張れるという背景には、それをバックアップする大人達の力がなければならないことがわかる。過去現在未来を見据えようとする大人達の知恵と、今を行動しようとする若者達のエネルギーが時代を動かす大きな原動力になったに違いない。それが明治維新なのだろう!昭和になって、大人達の未来を見据えた知恵はどこかへ行ってしまった。残ったのはイデオロギーだけで行動するエネルギーをもてあました若者だけである。知恵のバックアップのない無知のエネルギーは、結局時代の変革には参加することができなかった。

占い一言居士:
命名というのは、様々な背景を考えながらされるものなのだ。一口に命名といっても、そこには万感の想いを込めた親たちのドラマがある。そのところを理解していないと、命名には魂が入らないことになる。そうであってこそ、命名はその子供のバックボーンになるのである。

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格言ー十人が聞いて九人がうなずくようなことは、だいたい間違えている。
格言ー十人が聞いて九人がうなずくようなことは、だいたい間違えている。
---松井道夫(松井証券社長)---

時代の認識感というものほど恐ろしいものはない。トップであるということはそれを余儀なくされるのだろう!その認識感がしっかりとしている人ほど、時代を開拓するリーダーということができる。時代をどう認識するかということはどうやって訓練すべきかというと、これはもう嗅覚というか、動物的感というか、霊的な能力というべきか、そんな類のものに違いない。

しかし、訓練する方法はある。それは歴史をしっかりと学ぶことだ。それも生きた歴史である。戦史や政治史、経済史などを学び先人達がどのように決断しその背景には何があったのかを知ることは、現代と比較する上でとても重要である。第二次世界大戦で有名になったパットン大戦車軍団のパットン将軍は、古来の戦史に非常に詳しかったとしている。彼は知性と教養と癇癪持ちで、尚かつシックスセンスの非常に優れていた将軍であったらしい。それを部下の誰もが信頼をしていたというから、彼に与えられた能力が時代を超えていたことがわかる。

ダグラス・マッカーサー将軍は第二次大戦中フィリピンのコレヒドール島からオーストラリアへ退却した際に、アイ・シャル・リターン(I shall return)の言葉を残して有名になった。ここで彼が「shall」を使用したところにこだわりがある。自分は神の意志によって戻ってくるというのだ。が、それを実行した。その後朝鮮動乱では、インチョン(仁川)上陸作戦が有名である。この作戦は常識的にはまったくの無謀としか考えられない作戦であった。その証拠にあらゆるデータを検証した参謀本部は最後まで反対していた。しかし、マッカーサーは「皆が反対するから」この作戦を遂行すると押し切った。この起死回生の作戦によって釜山港まで追いやられた国連軍は息を吹き返したのである。

誰もが反対するから「それを実行する」というのは、やっぱり相当の時代感覚と状況判断能力を持っていなければできない相談ではあるが、それを実行するところにリーダーたる由縁があるといえるだろう!だから、リーダーというのはどこか博打打ちのようなところがある。一つの方向判断で全てが変わってしまうからだ。こういうリーダー像は日本人にはなかなか不向きだ。意見の集約型リーダーが大半だ。しかし、乱世や時代の変わり目には砂漠型のリーダー像が必要である。どの集団にもそういうリーダーが必要なときが必ずある。そういうリーダーは普通では外れてしまう人たちが多い。そういう意味では、時代が人を呼びリーダーを育てるのかも知れない。

占い一言居士:
占いでは何を求めているかということが、とても重要になる。要するに知りたいことがはっきりしていなければならない。そこには、良いことも悪いことも受け入れる度量が必要になる。要は自分をニュートラルにしていなければならないのだ。そうしていてこそ、占いの結果を自分にうまく取り入れることができるのだ。そこでは占いに吉とか凶などということにとらわれることこそナンセンスなのだ。

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格言ー何となく好きで、その時は好きだともいわなかった人の方が、いつまでも懐かしいのね。
格言ー何となく好きで、その時は好きだともいわなかった人の方が、いつまでも懐かしいのね。
---川端康成(作家)---

人には「想い出」がそれぞれある。たぶん今生きているのは、その想い出が原点にあるからなのだろう!現実は幻滅を感じていることが多くても、それでも自分の中に「想い出」を壊さないようにしながら、一生懸命に生きているのである。どんなにおじさんになってもどんなにおばさんになっても、やっぱり想い出は心の中に宿っていて、だんだん時を経れば経るほどそれが大きくなっていくのだから不思議だ。

「情景」と考えた方がわかりやすいと思う。自分の心の中に呼び出せば瞬時に現れる映像がある。それが自分の心の原点になり、人生の出発点にもなっているかも知れないのだ。そういう「情景」すら出てこないならば、その人の心は渇いているのだろう!時にはそういう自分の「情景」を探すことをしてみるといいのかも知れない。渇いているような心にもいつか湧水で満たされる時が来るはずだ。

今年のサラリーマン川柳が発表された。やっぱりサラリーマンの悲哀をうたったものが多い。堂々の一位は「脳年齢 年金すでに もらえます」なのだが、僕が気に入ったのは、いろいろあるのだがその中でも第八位の『「ご飯ある?」 「ツクレバアルケド」 「ならいいです…」』何でこれを選んだのかというと、読んだ人が様々な「情景」を自由に思い浮かばせることができるからだ。冷えた夫婦の情景もあるし、妻の状況を見た夫の労りの情景、恐る恐る妻にお伺いを立てる夫の情景、様々な世界が想像できて面白いのだ。

ひょっとすると、「情景」というのはその人の「憧憬」なのかも知れない。小さな経験の情景が、いつの間にか自分の心の中で一人歩きし、どんどん成長をして、いつの間にか自分が描く理想の姿がそこに出現してしまうのだ。人っていうのは、面白いもので、現実に生きていながら実は現実でない世界に心は生きているということなのだ。どんな現実に直面していても、情景と憧憬が混濁しながら、自分の好きなように見ている。僕にとっては、妻はいつまでたっても出会ったときの姿のままが写っている。

占い一言居士:
相性占いでは、本当は結婚後の相性を占った方が実利的なのに、どういうわけか今の自分と彼の相性は?などということが多い。刹那的ですぐに変わってしまう相対的な恋人との相性よりも、結婚という絶対的な枠組みでの相性の方がより人生を決める重要な相性なのに、そこに気がつかない人の心は?である。やっぱり「ルート2」なのだろうな!

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格言ー女性にモテた方が、人生は面白い。
格言ー女性にモテた方が、人生は面白い。
---齋藤孝(明治大学教授)---

「女性に持てた方がよい」それは男性から見れば当然のことだと思う。反対に女性から見れば、「男性に持てた方がよい」これもその通りではないかと思う。それでは、何故「人生は持てると面白いか?」ということになる。幕末の志士・高杉晋作は「おもしろきこともなき世をおもしろく・・・」と言い残して病没した。

この続きはどうなのかというのは、それぞれ皆がいろいろと思案すれば面白いのではないか?看病していた歌人・野村望東尼がつけた下の句は「すみなすものは心なりけり」ということである。こんなのはどうか?「なるようになれ自由な心」・・・駄作でした・・・まあ、いろいろと付ければ面白くなるのではないかと思う。

池の中に石を投げ込めば波紋が広がる。その波紋の広がりを見つめるのは結構楽しいものである。自然の静寂の中に一石を投じる。そういう変化を楽しむというのが人の心だ。「モテる!」というのも、モテる何かの一石を投じたからこそ、その結果が帰ってきたに違いない。何にもなくて「モテる!」ということはない。そういう意味では人生は変化と刺激なのだろうが、それが自然よりも相手が人間となると簡単ではない。だからこそ挑戦しがいがあるのかも知れない。

面白く生きることは「男性や女性からモテる」ということだけではなく、どんなことでも自分が一石を投じることのできる人間でありたいということなのだろう。どの分野でもそういうことだ!そういう波紋や変化をしっかりと見つめることが人間には面白いと感じる性質があるようだ。中にはそれに疲れてしまう人もいる。何故かというと、人間にはどうもイレギュラーが多すぎるからだ。そういう人は、自然や動物を相手に一石を投じることを考えた方がいい。彼らは裏切ることをしない。それは、自然の素晴らしさだ。

占い一言居士:
改名相談が多く寄せられる。その背景には、自分を何とかして変えたい。または自己実現したいという強い希望があるからなのだ。それは素晴らしいことだ。自己実現には、自分一人だけで全てがなせるわけではないということを知っているからこそ、名前の持つ力で多くの人とのバランスを取ろうということなのだ。

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格言ー自分を苦しめない言葉、また、他人を傷つけない言葉のみを語れ。
格言ー自分を苦しめない言葉、また、他人を傷つけない言葉のみを語れ。
---ウダーナヴァルガ(釈尊の教え・仏教の原始教典)---

釈尊の教えの中心的な課題は、「執着」ということになるだろうと思う。これがいいのか悪いのかと言うことでは、結果的には悪いことの方が目立つような気がする。執着するというのは、結局は周りが見えなくなってしまうことになるからではないかと思う。これは、自分の心が「呪」になっていることなのだろう!ある物や、ある事柄、ある人などに自分の心がとらわれてしまっている状態なのだ。そこから抜け出すのは、大変なのだと言うことだ。

この辺が見分けがつかない。信念を持つことと執着とはどんな違いがあるのだろうか?たぶん心の置き方が違っているのではないだろうか!信念は自分の心が主体で、価値観や概念をしっかりと持っていて、そこから出発する。執着とは、自分が出発点になっているようには見えているが、実はそれは見せかけだけであって、主体が相手に写ってしまっている状態を言うのではないかと思う。そういうビミョウなのだが、結果がはっきりと違ってくることになる。

聖書の有名な物語に「ルツ記」というのがある。ナオミという婦人に外国の地で二人の嫁があった。夫も息子も死んでしまったので、故郷のイスラエルに帰ろうとするのだが、嫁達の将来を心配して生まれた地であるモアブに留まるように言った。一人の嫁オルパはナオミの元を去った。しかし、ルツは去らないで、ナオミと共にイスラエルに帰ったのである。何故ルツはナオミの元を去らなかったのか?全ての財産を失い、何もなく手ぶらで帰るナオミの所にいても貧しさと老いた姑の介護をしなければならないだけでいいところは何もないはずなのだ。案の定、帰ってからルツは老いたナオミに変わって「落ち穂拾い」をして生計を立てなければならない境遇に追われたのである。

執着というテーマで見たときに、オルパはナオミとの生活に執着しないで、ルツはナオミとの生活に執着したのだろうか?その後のオルパのことは書かれていない。しかし、ルツはその後ボアズという人の妻となり、そのルツの産んだ子がイスラエルのダビデ王の先祖となったのである。こういう経過を見るときにルツという人は姑ナオミとの関係が非常に良かったのではないかと思われる。だから、貧しさにも耐えてナオミについていく決心をしたのだろう。これは、たぶんルツの信念ではなかったかと思う!信念は人に対する愛に根ざすものだからであり、執着は自己愛に根ざすものだからである。

占い一言居士:
命名では一番気をつけなければならないことは、子供の運勢ももちろんだが、親子の愛情交流にある。どんな良い名前と思っても、その名前が良い運命となるかどうかは、自分の名前の運用次第だからである。その自分の名前の命名の力を発揮させることができるかは、周囲の愛情交流にかかっている。

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格言ーあのころまでが、いちばん幸せな時期だった。
格言ーあのころまでが、いちばん幸せな時期だった。
---藤堂志津子(作家)---

あなたがいちばん幸せだと思ったときはいつですか?こういう質問をしたとしよう!さてどんな答えが返ってくるのだろうか?答えは三つのカテゴリーの中に入ることになる。過去、現在、未来というわけだ。それぞれのカテゴリーの中で当然幸せな状態も違っているだろう!だから、たぶんそれぞれに一番があると思うのだ。

そこで、幸せというのは、過去、現在、未来と比較すべきものなのかということである。映画のシーンでは、そういう比較の描写がよく出てくる。それは今の状況をクローズアップする為に過去を必要とするからかも知れないのだが、それは見ている観客のための説明にすぎない。本当は、その人自身にとって幸せなときは「今」であるはずなのだと思う。それは過去を思い出している自分も、未来を想像する自分も「今」だからである。

今年の正月に「辻占」をしてみた。そしたら、「滅多に損はしません」が何と5回も出た。それに、「食べるものに不自由なし」が1回。これはたぶん、滅多に損はしないようなことでも、ひょっとすると損をするかも知れないという暗示かもと、その時に考えた。でも、損しないというのだからいいではないかと考え直した。食べ物も「不自由なし」はありがたかった。人間というものは面白いもので、おみくじで大凶が出れば、それは大吉に通じるからいいのだ。と考え、末吉が出れば、これから上がっていくのだからいいではないかと考え、というように人はやっぱり幸せに考えるようにできているらしい。

大学生の長男と話していたら、突然に質問をしてきた。人は悪いことをしたら心は傷つかないのかな?悪いと思っていないのかな?というのである。急に難しい質問だからとまどってしまったが、良心があるからどんな人も悪いことをすれば、悪いと感じているはずだと答えると、何度も悪いことをする人はどうなの?というわけだ。人という者はどうも悪くなった理由探しをして、自分が悪くないということを言いたいらしい。だから、誰かや何かの性にして自分は悪くないと言いたいのだ。たぶん「幸せ」も同じなのだろう!今の自分が幸せなのだという理由が見つかれば、それで幸せなのだろうと思う!そう考えている自分は今いちばん幸せなのだと思いたい。長男は言い質問をしてくれた。

占い一言居士:
この前おもしろサイトを見つけた。偶然なのだが、韓国の方と結婚した日本人の女性のブログである。ここでは、生きた文化論が感じられた。生活の中から風土の違いがわかるのである。それによると、韓国は超外見の社会らしい。女性の6割以上が何らかの整形をしているらしい。ほくろだってどんどん取っちゃう。ほくろだって人の相を表す重要なアイテムなのに、外見だけの整形って言うのは、占いから見ればかえって運勢を悪くする可能性がある。

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格言ー我 人に辛ければ人また我に辛し。
格言ー我 人に辛ければ人また我に辛し。
---近松門左衛門(江戸元禄期の歌舞伎・人形浄瑠璃の劇作家)---

因果は巡るというわけだ。自分が何かの原因をつくれば、そのことによって、結果は自分に返ってくるというものだ。当然といえば当然のことなのだが、この理は、なかなか理解されているようで、理解されていない。「天に向かって唾を吐く」というのも同じようなもので、災いは自分に返ってくるというものだ。そういうことは、昔の人はよく経験しているからこそ、こういう言葉として残っているのだろうと思う。

実生活で人間が発言したり、行動したりする中に、後々のことまで想像したり考えたりしながら、言葉を選んで話すというようなことをしているだろうか?実際そんなことをしていれば、疲れてしまって話す気力もなくなってしまう。そういうものに違いない。自分の思ったことや考えたことなどをそのまま相手にぶつけてそれで話題というのは発展していくのだ。ビジネスの交渉では利害得失を考えながら話すのは当然だが、日常の会話の中にまで、そんな窮屈なことは持ち込めないだろう。

受け止める人の問題が大きいのだ。人間というのはその育った環境や、教育を受けた内容によって様々な人種がいるものだ。その中には、何でもないことを侮辱と受け取ったり、小さなことにプライドを傷つけられたと思う人もいるのだ。国が違えば風習も違う。例えば日本では頭をたたくというのは、相当侮辱されたことになるのだが、別の国に行けばお尻をたたかれる方がすごい侮辱を受けたということになるところもあるのである。国でも個人でもそれぞれの事情によって受け止めるレベルや内容が異なるのである。

人間の生活で大切なことは、人に恨まれる原因を作らないということなのだろう!といっても、どんな生活をすれば人に恨まれないでいられるかというのは、結構難しいものなのだ。だからこそ昔の人はいろいろと心を砕いたものなのだ。そこで「自分がして欲しいと思うことを人にしてあげなさい」とか「何かしてもらおうとするのではなくて、先に相手に何かしてあげなさい」などと、諭していうrのである。そういうことから、人にも自分いもいい関係を作ろうとしていることがわかる。偉い人はこういう事を「愛」とか「仁」という言葉で表している。

占い一言居士:
人間っていうのは不思議なもので、調子のいい時っていうのは何も考えていないみたいなのです。だから、結婚する時っていうのはわざわざ「相性占い」を見てもらおうとは思わないのです。ところが結婚生活をしている中で、ちょっと都合が悪くなると、何だか自分たちの関係が悪いのは相性の性かな?なんて思うようになって、さかんに調べまくる。本当は先にちゃんと相性を見ておくのが「転ばぬ先の杖」なのにね!

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格言ー嫉妬とは何であるか?それは他人の価値に対する憎悪をともなう羨望である。
格言ー嫉妬とは何であるか?それは他人の価値に対する憎悪をともなう羨望である。
---阿部次郎(哲学者・評論家)---

世の中で嫉妬心ほど嫌らしいものはないし、嫉妬心を抱かせるということほど、人に対する優越感を助長するものもない。どちらにしても、嫉妬心などというものは、人間の心からなくなって欲しいものであることには違いない。それでもこの嫉妬心というのは、有史以来なくなったためしがない。このことが全ての事件の背後にあるといってもいいくらいだから、人類にとっては、伝染病と同じくらい闘わなくてはならない相手なのだ。

歴史上では北条政子の嫉妬心はすごかったらしい。頼朝に愛人ができると、その愛人の住みかを部下に襲わせて、打ち壊しを行っている。これに夫頼朝が激怒して打ち壊しの武将を罰すると、政子は愛人をかくまった武将を流罪にさせている。この時代、公家や武家などが妾を持つのは一族の繁栄のために公然として行われていた。その中で、以上とも思える行動を政子はとったのだ。一夫一婦制の社会システムの現代でも、浮気をしたからといって相手の家をぶっ壊したなんていうのは、すごいことなのであるから、鎌倉時代に女性の権利をここまで主張したのは凄まじいものがあったに違いない。

しかしながら、嫉妬心は人間にとっては必要なことなのでもある。こんなことを書けば、怒られそうなのだが、愛情というものには強い刺激が必要ということなのだ。常に刺激が会ってこそ愛情というものは確認され、強くなり、深まるものかも知れない。だから、嫉妬心は人の心の大きな刺激でもある。よくある例だが、結婚するまではお化粧をちゃんとしていたが、結婚が成立すると、もうお化粧どころか身だしなみまで適当になる人がいる。これは、競争相手が慰安句なってしまうと、もう美の競争をしなくてもいいことから起こる怠惰なのだ。問題は嫉妬心が起こったときの対処の方法と方向性の問題が大きいといえる。

何故嫉妬心と憎悪が結びついたかということなのである。本来ならば、嫉妬心が憎悪と一緒になるということはなかったのではないかと思う。憎悪というのは、相手の存在を否定する気持ちである。もっといえば抹消してリセットしたい気持ちである。これが相手を消すことー殺人へとつながるのである。嫉妬心は相手の気持ちの方向性を自分に向けたいということであって、何も相手を消すということではなかったはずである。それがどういうわけかすり替わってしまっている。自分の好きな人の気持ちの方向性を奪った相手に対して、どうすればその心の方向性を変えさせることができるかという戦いのはずなのに、「消せば、相手の心がこちらに戻ってくる」と錯覚してしまったことなのだ。
ここに人間の心に救う悪魔のトリックがあるのだ。それに負けてはならない。

占い一言居士:
改名ということを考えてみると、自分を変えたいという強い願望が根底にあるということがわかる。実はそれは素晴らしいことなのだ。何故かというと、自分に対するどこまでも挑戦する気持ちがそこにはあるからだ。その気持ちがエネルギーになって新しい何かが生まれるのだ。問題は自分を変えるその方法がはっきりとしなかっただけなのだ。名前に隠された不思議な暗号が自分をリードしていることがわかれば、その暗号を解読すればいいことになる。

赤ちゃんの命名・改名・相性占い・姓名判断はメール鑑定の「天使の占い」

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格言ー日々に過ぎゆくさま、予て思ひつるには似ず。
格言ー日々に過ぎゆくさま、予て思ひつるには似ず。
---吉田兼好(歌人・随筆家)---

人生はイレギュラーバウンドの連続ともいえる。だいたい「侭にならない」というのが当たり前だ。思うとおりに人生を生きることができれば、「警察なんかいらねーや!」と啖呵を切る人の気持ちもわからないではない。1日でも1ヶ月でも、いろいろと予期せぬ変化がある。ましてや1年は激動という言葉は言いすぎではないのだ。それを面白いととらえられる人と、それに振り回される人がいるというのも事実だ。

徳川家康公の遺訓に「人の一生は、重き荷を負うて遠き道をゆくがごとし。いそぐべからず。」「不自由を常と思えば不足なし」というのがある。家康公の生まれ育った岡崎城に行ったときに「この人何を言っているのか?」と昔はその真意がわからないで、「ふーん!」と読んでいたようなところがある。手探りで歩んできた人生のまだ半ばではあるが、少しは意味がわかるような気がしてきた。戦国の乱世は、「侭ならぬ!」ことばかりではなかったかと思う!

「想定内」という言葉がちょっと前に流行ったことがある。これは傲慢な言葉だとその当時思ったものだ。世の中「自分の想定内」で収まる事なんてほとんどないはずなのに、「この人は何でそんなことがいえるのだろう」と考えていた。イレギュラーの事件がおこるのは日常茶判事なはずである。問題はそれに対する対処の仕方である。それが、次への布石になっていく。そのことを考えないで対応すれば、明日へはつながっていかない。無理は結局、破綻につながるのである。この「想定内」の人物は今は「想定外」の裁判にかけられている。

上杉謙信という人は、どこかで徳川家康と似ているのだ。何がというと、仏道に帰依した特異の武将上杉謙信は、「義」の人であった。一方徳川家康はどこまでも政治的な人であった。この二人のどこに接点があるのか?一人は仏道に根ざした「義」による治国平天下である。一人は、この地上の浄土を目指して戦乱の世に終止符を打とうとした点にある。二人には誰よりも「公」の精神が、その動機として強かったということなのである。もう一つは、侭ならぬ「イレギュラー」の事件を一つ一つ処理をしていったその政治手腕にある。上杉家にとってのイレギュラーは、謙信その人が死んでしまったことである。結果論的には家康公が天下を取ったのであるが、そこには時代の意志が働いたと見た方がいいのである。できればどんなイレギュラーにも対応できるようになりたいものだ。

占い一言居士:
命名というのは、とってもしんどい作業で、この地上に一人の子供を産み落とす作業に似ている。それでも、命名を依頼された方から「ありがとうメール」が届くと、全ての苦労が「喜び」に変わるから不思議なものだ。そして次への力も湧いてくる。

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